2017年01月16日

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』試写会

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会場:松竹試写室

映画『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』(ルカ・ルチーニ監督、2015年)の試写会に参加しました。

しっかりと作られたドキュメンタリー。
ダ・ヴィンチ研究第一人者のピエトロ・マラーニ氏が解説をしたかと思うと、舞台は一気に当時のミラノに飛び、彼を取り巻く人々が登場しては語るという、時代の二層仕立てとなっています。

トスカーナ地方に生まれ、フィレンツェで学んだ彼は、30歳で移ったミラノで、彼の全盛期を過ごしました。『最後の晩餐』が描かれたのも、この町のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院。

画家本人は、最後まで登場しません。
彼を知る周囲の人物に、彼について語らせるという流れになっています。
彼の絵でしか見たことがなかったミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァやその妃たちが、当時の衣裳や髪型で登場し、あたかも絵から抜け出してきたかのような印象を受けます。

ミラノ公の愛人、チェチリア・ガッレラーニは、『白貂を抱く貴婦人』のモデルとなった人物。
作品そのままの格好で現れ、同じく公の愛人だったルクレツィアがモデルとなった『ラ・ベル・フェロニエール(ミラノの貴婦人の肖像)』の美しい出来栄えに嫉妬する彼女。
数百年前の人物の人間らしい感情により、さらに生き生きとした作品に見えてきます。

そのうちに登場人物が喋りかけているのが我々観客なのか、あるいは同じ時代の登場人物なのかと、混乱してきます。
ただ間違いないのは、当時も現在も、レオナルドが天才であるのは人々にとって変わりないということ。

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ミラノ滞在時代に手がけたレオナルドの作品が多数登場しますが、どれも目を見張るような鮮明な美しさ。世界初の4Kスキャン映像が用いられています。
圧倒的な映像美に見とれているうちに映画は終了。

そののち、東京造形大学の池上英洋教授と、美術ブログ「青い日記帳」主催者Takさんの熱いトークショーが行われました。

ダ・ヴィンチ研究者の池上教授は、いくつか映画の指摘点を挙げられました。
レオナルドの愛弟子のサライもメルツィも、弟子というより稚児という立場の方が近く、例えるならば『ヴェニスに死す』のビョルン・アンドレセンのイメージだとか。
サライは『洗礼者ヨハネ』の顔つきだと思っている私も、もっと美少年だったはずだという意見に賛成です。

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また、ミラノ公ルドヴィコが「ダ・ヴィンチは私の父の像を作らなかった」と言ったセリフには、語弊があるとのこと。
実際には、レオナルドは銅像を作るために、型まで取って大量のブロンズを用意していたそうです。
しかしその時にミラノとフランスが戦争を始めたため、そのブロンズは武器に使われたのだそう。

ミラノとフランス間の戦争に敗れたルドヴィコは捉えられ、パトロンを失ったレオナルドも、空爆を受けるミラノの町から離れたそうです。

彼の作品の中で最大サイズの『最後の晩餐』は、修道院の食堂の壁に描かれたフレスコ画。
freshの語源となっているように、すぐに乾いてしまうため、その場でどんどん描き込んでいかないといけませんが、黙考型の彼は、即断即決で描かずに済む新たな手法を編み出したとのこと。
よく『最後の晩餐』の制作現場に遊びに来ていたという、当時の修道院長ヴァンテルロの甥が、後に作家になり手記を書いたことで、レオナルドの制作風景が世に伝えられることとなりました。

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ミラノを占領したナポレオン軍は、修道院を厩舎にして、あろうことか壁を的当てに使いました。
あの作品が残ったのは、奇跡に近いものがあります。
「フランス兵はスフィンクスの鼻のこともあるので信用ならない」と教授。確かに、文化の国のはずなのに、軍隊は歴史的遺産をあまりにもぞんざいに扱っており、美術研究者が嫌うのも納得です。

『ラ・ベル・フェロニエール』は、頬に赤いドレスの光沢が反射しているのが斬新な表現。
指摘を受けなければ気がつかなかった点で、やはり専門家の解説は大切だと思います。
これは、ダ・ヴィンチが工学を学んだことで、取り入れた手法なのだとか。

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『白貂を抱く貴婦人』は、(当時ペットとして飼われていたんだろう)と思っていましたが、そうではないそうです。
宗教画によく見られる、子牛や子羊など動物を抱く図は、モデルが実際にその動物を抱えているわけではないようです。
近くにいる動物を、とりあえずモデルに持たせており、それはたいていが猫なのだそう。

実際の白貂は、動物園でスケッチするとのことで、当時すでに動物園があったことに驚きます。
もともとスケッチ重視の彼は、二つのスケッチを後で組み合わせたため、いまいちしっくりこないこともあり、この作品もそうした描き方で制作されたのだそうです。
たしかに、モデルの手つきを見ると、実際にはもっと大きくフカフカした猫を撫でているような気がします。

また、女性に興味がなかったという彼の描く女性像は、セクシーではないものの、普遍的母性があらわれ出ており、それが魅力となっているとのこと。
彼の女性が中性的で謎めいているのは、そういった理由もありました。

「研究者の数だけ説がある」と言われるダ・ヴィンチ。
いまだに多くの謎に包まれており、私たちの興味をかきたててやみません。

数年後に没後500年となるレオナルド・ダ・ヴィンチ。
画家の生きた当時と現代が違和感なく結び付けられ、半世紀たった今もなお、人々を引きつける彼の魅力に近づける作品です。

映画は1月28日より全国ロードショー。
◆ オフィシャルサイト
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2016年12月28日

東京工業大学 第155回定期演奏会

at ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮: 末永 隆一
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J.シベリウス『交響曲第2番』
E.フンパーディンク 歌劇『ヘンゼルとグレーテル』より「序曲」
P.I.チャイコフスキー バレエ音楽『くるみ割り人形』より抜粋
シベリウス 『カレリア組曲』より「行進曲」


東工大オケの演奏を初めて聴きに行きました。
大隅栄誉教授のノーベル賞受賞でおめでたい大学ですし、明るい演奏が聴けると期待して向かいます。
今回は、大学の創立135周年記念特別演奏会。
同行の母は、団員は男性ばかりだと思っていたようで、女性が多いと驚いていました。

『ヘンゼルとグレーテル』の歌劇があるとは知りませんでした。
初めて聴く曲です。フンパーディンクという作曲家の名前も、初耳です。

私は時期的にも『くるみ割り人形』が楽しみでした。
「金平糖の精の踊り」で重要なメロディを奏でるチェレスタ。
演奏後に指揮者が奏者をたたえようとしたら、チェレスタの席には誰もいませんでした。
演奏者は小太鼓の前に移動していました。パーカッション担当だったことに驚き。

でもプログラム的には、メインはシベリウスの交響曲。
起承転結のはっきりした曲で、最終楽章は迫力十分。

大学のオーケストラサークルの演奏はあまり聴きませんが、とても上手。
私は特に、オーボエとファゴットがいいなと思いました。
ソロ演奏者が物おじせず、ぶれない音色を出しているのがすごいことです。

会場のミューザもいいホールですし、聴きごたえがありました。
いい年の瀬の演奏会でした。

2016年10月04日

「エッシャー展―視覚の魔術師―」

そごう美術館
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オランダの版画家M.C. エッシャー(Maurits Cornelis Escher, 1898-1972)の作品展。
エッシャーコレクションを誇るハウステンボス美術館所蔵の約100点が展示されています。

だまし絵といえばエッシャー、エッシャーといえばだまし絵。
そう思ってだまされに行きましたが、彼の作品はそれだけではありませんでした。

最初からああいった絵を描いていたわけではもちろんなく、イタリア滞在中に描いた風景画など、初期の頃は目に映るままの光景を描いています。

のちのだまし絵への繋がりはまだ感じられませんが、とても緻密で立体的な作品。
俯瞰力もありました。

子供向けの魔女の絵本の挿絵も手掛けたりしていました。
モノクロで絵が怖いですが、彼の絵にかわいらしさは皆無。

その後アルハンブラ宮殿で、ムーア人によるモザイク模様に感銘を受けた彼。
この辺りから彼独特の緻密なデザインパターンが生み出されていきます。

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「騎士」


結晶学者の兄の影響を受けて平面充填(平面を同じ図形で埋める方法)を研究し、数学的な<平面の正則分割>の思考も取得したことで、平面を連続模様で埋め尽くす技法が編み出されたのだそう。
<平面の正則分割>によるデザインの平行移動や裏返しに立体感と緻密さを加えることで、彼独自の世界が展開されていくこととなりました。

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「昼と夜」(Day and night)1938年
左右がシンメトリーに作られています。


モノクロの作品が多いと思ったら、彼の作品はほぼ木版画。
なおさらその緻密さに驚かされます。

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「もう一つの世界」(1947年 木口木版・板目木版 3色刷)


第二次世界大戦勃発中も、政治には興味を示さず版画に没頭していたという彼。
その姿勢が、世相を反映させない硬質な作品となっているように思われます。

改めて作品と向き合ってみると、単なる「だまし絵」を超えて印象に残るのは、不思議な秩序のとれた静けさ、そして繊細さ。
見れば見るほど精密で幾何学的で美しく、世界中の人をひきつけているのがよくわかります。

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「ベルベデーレ(物見の塔)」(1958年 リトグラフ)


エッシャーの絵が表紙を飾った1970年刊の「週刊少年マガジン」 が特別展示されていました。
意外な取り合わせに思えますが、3刊連続でエッシャー作品を表紙にしたことが、日本で彼が知られるきっかけとなったそうです。

「視覚の魔術師」と言われ、建築は不可能と言われる彼の作品。
その<不可能立体>を立体化したコーナーがあり、観客は皆じっくり観察していました。

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鏡に映った物が、実物とは違った形に見えるという謎。
目の錯覚による不思議さを体感。

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晩年まで精力的に制作に取り組んだものの、存命中はあまり芸術家としての正しい評価を得られなかったそうですが、彼の作品は、数学や物理、心理学の理論を取り入れて生み出された広い意味でのアート。
今なお色あせずに多くの人を魅了し続けるのは、人が様々な見方から鑑賞し、そして一様に驚かされ続けるからなのでしょう。


posted by リカ at 13:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 【finearts】書・版画・彫刻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月08日

リズムでつながる〜米国発祥の新しいチームビルディングプログラムを体感しよう〜

9月7日(水)赤坂プラス
講師:橋田“ペッカー”正人(パーカッショニスト)

「チームビルディングプログラム」とは初めて聞く言葉。いったいどんなことだろう?
そう思いながら行った会場には、さまざまな形をしたアフリカのドラムがたくさん置かれてあり、参加者は円卓状に座って、めいめいに楽器を手にしていました。

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私も、あいている席に座り、座席にあったウッドペッカーを手に取ります。
前に木製のものを持っていたため、抵抗なく鳴らせます。

見知らぬ参加者ばかりで、特に会話もないまま、なんとなくぎくしゃくした空気のままで、会は始まりました。
「じゃあお持ちの楽器を叩いてください」と言われ、おそるおそる鳴らしますが、音にもその臆した気持ちがあらわれて、どうにも張りがありません。

時折、講師のペッカーさんが軽い話でみんなをリラックスさせ、笑いを起こすと、そのたびごとに少しずつ音は大きくなり、次第に合って、一つの音になっていきました。
「リズムがよくなりましたね」

「リズムがいい」とは、すなわち「きちんとした生活を送っている」ということだそうです。
たしかに、一つ一つの動作にはすべて、リズムがあるもの。
それを意識しながら動いていると、気持ちの、そして生活そのもののメリハリにつながっていくようです。

はじめはてんでばらばらで揃わなかったカップルの合奏も、互いに目を合わせて叩くようにすると、次第に合ってきたのが聴いてわかります。
呼吸も合ってくるからでしょう。

太鼓だけでなく、みんなで叩く拍手も、叩いているうちに、次第にそろってきます。
大勢で一つの音を出していると、みんなとの一体感も感じられるようになります。
はじめはアイコンタクトで呼吸を合わせていたのが、次第に目を閉じて音を合わせるようになれるのは、めいめいバラバラだった気持ちが近くなったからではないかと思いました。

大勢で輪になって、言葉のいらない打楽器を叩くこと、これがアメリカ発のドラムサークルというプログラムだそうです。
みんなで叩いていると、誰もが周りに合わせようと思うもの。
そうしていつしか、きれいな音になるのです。

人は耳から始まるのだと教えてもらいました。
生まれる前は、目が見えずにまずは聴覚ありきで、母親の血流を聴いて育ちます。
そして聴覚が切れた時がご臨終なのだそう。
「観音菩薩という言葉もありますね」
確かに、名前に音が入っています。

音は非言語コミュニケーションで、特に音階のない打楽器は、聴くというよりも感じるもの。
言葉ではないため、ケンカをすることもない、平和な意思疎通ツールだそうです。

次第に、両隣の人と笑みを交わしたり、向かいの人と頷き合ったりするだけで、言葉が無くても意思疎通を感じられるようになっていました。
これってすごいですね。喋っていないのに、なにか強い温かいものを感じるのです。

そのうちに、様々な形のマラカスが出てきました。
バナナやリンゴ、金の豚やコッペパンの形をしたものがあります。
それを順々に回していきました。

塩化ビニールの筒も周ってきました。長さの違う5色の色に分かれており、叩くとそれぞれ出る音が違います。
色別に違うリズムを叩いて合わせると、なかなか奥行きのあるセッションになりました。

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さらに、いろいろな打楽器が周ってきました。
雷の音を出すものや火の用心の拍子木、こすってカエルの鳴き声を出す東南アジアの民芸品。
「人生楽ありゃ苦もあるさ〜」の時に聞こえるボヨヨ〜ン!や、ど根性ガエルの時などのホニャホニャ!といった効果音の楽器も。

簡単に鳴らせるものばかりで、音が出ると単純に楽しい気分。
みんなで鳴らした音が揃うと、嬉しくなります。
もうみんな、すっかり打楽器の魅力にひたりました。

最後にはすっかりうちとけて、なごやかになった参加者たち。
特にぺちゃくちゃとお喋りをしたわけではありません。ただ楽器を叩いて合わせていただけです。
それでも、穏やかな気持ちになって、みんなとの協調感を得られました。

ペッカーさんは、今回はドラムは叩かず、インディアンリコーダーを吹いてくれました。
素朴な音色に懐かしさを感じます。
彼のこののちのスケジュールは、ブルーノートやビルボードへの出演。
すごいですね。そう、この方、日本初のサルサバンド「オルケスタ・デル・ソル」を結成した方で、様々な有名アーティストのレコーディングやツアーに参加している実力派なのでした。

今は聴覚障害者のドラム演奏をボランティアで行っているとのこと。
「聴覚障害者が音楽を?」と思いますが、耳が不自由な人は、うぶ毛でリズムを感じるのだそう。
ライブには風船を持って行って、楽しむそうです。
どちらも、振動を感じ取るんですね。
映画『愛は静けさの中に』で、聴覚障害者のヒロインが、大きなステレオのスピーカーの振動から、音を楽しんでいたことを思い出しました。

合奏に言葉は必要ありません。みんなで一緒に楽器を演奏していたら、みんなとお喋りをしたような気になって満足できます。
自分がオーケストラに参加して演奏する時にも、確かに一体感は感じられますが、今回は音階のない打楽器なだけに、心臓の鼓動に近いような、より素朴なストレートな感じ。
おそらくは、言葉がまだなかった大昔の人々も、音を鳴らすことで共有感覚を感じていたんだろうなあと感じられたレッスンでした。

個が輪を作り、和になってまとまっていく流れ。
理屈なしにほっこりした気持ちになれます。
今の殺伐とした子供たちや、不登校の学生たちにも、ぜひ経験して、周りとのハッピーな一体感を体感してもらいたいと思いました。


posted by リカ at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 【events】体験コース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月01日

納涼赤坂プラス寄席〜講談!落語の古典・新作!大衆芸能のパラレルワールドへようこそ 〜

8月31日(水)赤坂プラス
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出演:橘家蔵之助、神田陽子(講談)、三遊亭わん丈

毎年恒例の赤坂納涼寄席。私は初めて参加しました。
蔵之助氏のあいさつに始まり、最初の舞台は三遊亭わん丈氏の新作落語。
三遊亭円丈の弟子で、今年の5月に「二つ目」に昇進したばかりの新進気鋭の方。
「名前ですが、師匠が犬好きだったので…」といったところで、会場内のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえました。(こらえきれず私も)

落語には、ずっと語り継がれる古典と、自分で作る新作があり、円丈師匠は新作落語の第一人者だそう。
そのお弟子さんですから、作り慣れているのでしょう。
タイトルは「プロポーズ」。
ほんわかしている咄家と思いきや、さすがは落語、シュールさとギリギリ毒味がきいた話でした。

寄席の前に、ウォームアップ的にしてくれた自分の家族の話がおもしろかったです。
厳格すぎてオレオレ詐欺に引っかからない祖母や、突っ張った息子に形から寄り添う母親の話に笑いました。

次は蔵之助氏の古典落語「替り目」。酔っ払った男と車屋、そして帰宅した男と妻との話でした。
しらふでぐでんぐでんの酔っ払いの真似をするのって、難しいですね。

それから神田氏による「応挙の幽霊画」。
怖い怪談噺かと思いきや、なかなか人情味あふれる話でした。
女性の講釈師の草分け的存在である彼女は、早稲田大学の学生として、講談の研究もされているそうです。
講談を聴くのはこれが2度目で、最初に聞いたのは12年前でしたが、やはりこの方による「唐人お吉」でした。

この方の話も面白く、開催している講談教室の生徒には牧師さんもいて、講談口調で「アブラハムへの道」をお説教するのだそうです。
聖書はとてつもなく長い話なので、全部を語るとなると、ライフワークになりますね。
また、カルメンやクレオパトラ、椿姫という題目でも講演するそうで、気になりました。

最後に蔵之助氏が再登場。
客席の質問に答えてくれます。さまざまな咄家が新作を出す中で、万人に受ける作品が残り、それが古典となるとのこと。
江戸後期には落語より講釈小屋の方が多かったということですが、いつしか立場は逆転したのだそう。
落語の歴史は300年と、実はそれほど古いものではないと知りました。
古典と言っても、明治・大正・昭和初期に作られたものなのだそうです。
講談は500年。歌舞伎は400年、能狂は7〜800年。能はさておき、講談は古い歴史があるんですね。

今では、なんといってもモンスター長寿番組『笑点』のイメージが強いため、打ち合わせの時に「座布団は何枚いりますか?」と聞かれることもあるのだそう。
「一枚で結構です」
座布団重ねは、大喜利の時くらいですからね。

わかりやすく話してもらえたため、すんなり理解できて、日本文化を楽しむことができました。


posted by リカ at 15:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 【lecture】講演会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする