2017年01月24日

『「超・日本刀入門」~名刀でわかる・名刀で知る~』 静嘉堂文庫美術館

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静嘉堂文庫美術館で開催中の『「超・日本刀入門」~名刀でわかる・名刀で知る~』の内覧会に参加しました。
昨今、オンラインゲームがきっかけで刀剣のファンになった女性が増え、「刀剣女子」と言う言葉も生まれています。
私はその波に乗れていませんが、以前五島美術館で日本刀コレクションの展示を見た時に、照明を受けて輝く鋭い刃の切っ先に魅せられて、あやしく心臓が高鳴ったことが忘れらません。
そんなわけで、知識はほとんどないビギナーながら、またあの冷たい美しさを味わいたいと、足を運びました。

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旧三菱財閥二代目社長・岩崎弥之助と四代目社長・小弥太氏の親子が収集したコレクションを所蔵・展示する「静嘉堂文庫美術館」が会場。
国分寺崖線に立つ緑豊かな広い緑地内には、和漢古典籍を所蔵する図書館「静嘉堂文庫」もあります。

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突然のブームで一気に脚光を浴びている刀剣。美術雑誌でもこぞって特集が組まれ、興味を持つ人も増えているところですが、専門用語が多く難解だと、なかなかとっかかりがつかみにくいジャンルでもあります。

今回の展覧会は、初心者向けに詳しい解説をちりばめながら、館所蔵の立派な名刀を展示しているのが特徴。学びながら同時に鑑賞ができるようになっています。

はじめに河野館長・担当の山田学芸員・美術ブログ「青い日記帳」主宰のTak氏のアートトークが行われ、その後、山田学芸員のギャラリートークを受けながらの作品鑑賞となりました。
館内には刀剣の見方のポイントや、その歴史や産地、刀剣の各パーツの名称などのパネルが展示されており、初心者が日本刀を前に、どう見たらよいのかと途方にくれずに済む配慮がされています。

まず、刀と太刀の違いについてのレクチャー。
(大きさや長さの違いかな)と思っていましたが、それだけではありません。
展示の向きが違います。
太刀は、刃を下向きにし、刀は、上向きにします。刀工の銘の場所も逆になっています。
この違いが分かると、気分的にずいぶん楽になるもの。
肩の力が抜けたところで、いよいよ実物鑑賞となります。

今回の展示品すべてに説明文がついており、時代背景の解説も加えられています。
刃先に見える刀文を写し取って、特徴を記した押型も、作品の下に一緒に展示されているのが、とても分かりやすく参考になっています。
押型はすべて、日本刀剣保存回幹事の吉永永一氏が手がけられたとのこと。

刀剣は、単に前に立って覗き込むだけではなく、上・下・横と角度を変えて覗き込むと、光の当たり具合によってまた異なる印象を受けるもの。
「ぜひ、作品の前でスクワッドしながら鑑賞して下さい」と勧められました。
下部にある押型の文様も眺めると、さらに大きな動きとなって、ゆっくりと一人エグザイルしているような動作になりました。
でも今回は、あやしまれないはず。夢中で鑑賞していたら、おそらくみんなそうなることでしょう。

* 美術館より特別に撮影の許可をいただいています

『国宝・重文の刀剣』コーナー
まずは国宝の「手掻包永太刀(てがいかねながたち)」。どう読んだらいいのか、読みをどこで切ったらいいのかと弱気になりますが、それを助けてくれるのが説明文。

作者は刀工の一派、手掻(てがい)派の祖である初代包永。つまりは「手掻(派の)包永(の作った)太刀」ということですね。
手掻派は、大和国(奈良)を代表する5つの刀工集団のうちでも特に勢力があったそうです。

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国宝「手掻包永太刀(てがいかねながたち)」 鎌倉時代(13世紀)
「附 菊桐紋糸巻太刀拵(きくきりもんいとまきだちごしらえ)」 江戸時代(18~19世紀)


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たしかにどこから眺めても完璧な美しさ。
そしてやはり、角度によって印象は変わります。
刀や太刀とは、じっくり時間をかけて向き合うのがよいのでしょう。

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館所蔵の120振りの刀剣のうち、国宝1点に重文が8点を加えた30振りが展示されています。
「無銘のものでも名刀が多いので、そういった指定にこだわらず観て下さい。"無冠の大夫"と呼ぶにふさわしい立派な刀が数多く並んでいます。」と、アートトークで言われていました。

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重文「名物 日置安吉短刀 安吉 南北朝時代(14世紀)」


長刀だけではなく、短刀もあります。
堀川国広による、龍が刃に彫り込まれたものも。光の加減によって、龍が揺らめいて、生きているようにも見えます。

『武士と名刀』コーナー

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こちらでは、戦国武将たちの名刀が見られます。

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重文「古備前高綱太刀(こびぜんたかつなたち)(号「滝川高綱」) 」鎌倉時代(12~13世紀)
「附 朱塗鞘打刀拵(しゅぬりざやうちがたなごしらえ)」 桃山時代(16世紀)


こちらの作者は古備前派の刀工、高綱。
織田家重臣で織田四天王のひとり、滝川一益(かずます)(1525~1586)が、武田家追討の際に、主君の織田信長より拝領したと伝えられる刀です。

朱塗の拵が美しく、信長らしさを感じます。鮫の皮(といってもエイ)も使われているそう。
頭金具には、織田家の木瓜家紋と信長が足利将軍家より賜った桐紋が配されています。

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「伝 長船兼光刀(でん おさふねかねみつかたな)(大磨上げ無銘、号「後家兼光」) 」南北朝時代(14世紀)
「附 芦雁蒔絵鞘打刀拵(あしかりまきえざやうちがたなごしらえ)」 明治時代(19世紀)


直江兼続(1560~1619)が秀吉から気に入られていたというエピソードは大河ドラマ『天地人』に出てきましたが、彼は秀吉の遺品であるこの刀を賜ったとのこと。
兼続の没後、未亡人のお船の方から主家の米沢藩主上杉家へと献上されました。

逸話とともに武将の愛刀が展示されていることで、所持した武将と武士の魂としての刀、どちらにも親しみを感じます。

鍔(つば)を初めて見た時には、芸術性の高さに驚きました。
精緻な細工が施してあり、美意識の高さを感じます。

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上はシンプルな鉄製の京透し鍔。
真ん中は陰陽剣形、右は十二支文字のデザインです。

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こちらは金が施された絢爛豪華な江戸の鍔。
江戸時代に中国から輸入された珍鳥、キンケイが彫り込まれています。

右側にあるのは三所物(みところもの)。目貫 (めぬき) ・笄 (こうがい) ・小柄 (こづか) のことです。
初めて見た時には、女性の簪(かんざし)かと思ったほどに、細かく装飾性に富んでいるものです。
こうした細かな装具を見ると、刀剣は、武器としてだけではなく、美術品としても本当に価値の高い貴重なものなんだなあと、あらためて感じます。

最後のコーナーでは、弥之助の愛刀が展示されています。
漢学生だった32歳の時、彼は塾生との口論から刀で斬りかかられますが、手元の刀でその刃を防ぎ、事なきを得ます。
刀には、その時に受けた刃の痕がくっきりと残っており、彼は、自分の命を救った刀だとして、大切に扱ったそうです。

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平安時代から作られた名刀が、戦国時代の武将や明治の改革期の人々の手を経て、時代を超えて今もなお人の心をとらえつづけています。
刀剣という側面から、日本の歴史を知るのもまた楽しいもの。

あまり難しいことは頭に入れなくても、無駄をとことんそぎ落とした日本美の極致のような刀剣を前にすると、静かな迫力と不思議な感動を覚えるものです。

これまでは限られた専門愛好家の領域だったものが、ビギナーにも門戸を開いている今、やさしく日本刀について教えてもらえるいい機会となりました。

この展覧会『「超・日本刀入門」~名刀でわかる・名刀で知る~』は、2017年3月20日(月・祝)まで静嘉堂文庫美術館で開催中です。
◆ 公式サイト

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美術館から臨む富士山の夕景

2017年01月16日

『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』試写会

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会場:松竹試写室

映画『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』(ルカ・ルチーニ監督、2015年)の試写会に参加しました。

しっかりと作られたドキュメンタリー。
ダ・ヴィンチ研究第一人者のピエトロ・マラーニ氏が解説をしたかと思うと、舞台は一気に当時のミラノに飛び、彼を取り巻く人々が登場しては語るという、時代の二層仕立てとなっています。

トスカーナ地方に生まれ、フィレンツェで学んだ彼は、30歳で移ったミラノで、彼の全盛期を過ごしました。『最後の晩餐』が描かれたのも、この町のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院。

画家本人は、最後まで登場しません。
彼を知る周囲の人物に、彼について語らせるという流れになっています。
彼の絵でしか見たことがなかったミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァやその妃たちが、当時の衣裳や髪型で登場し、あたかも絵から抜け出してきたかのような印象を受けます。

ミラノ公の愛人、チェチリア・ガッレラーニは、『白貂を抱く貴婦人』のモデルとなった人物。
作品そのままの格好で現れ、同じく公の愛人だったルクレツィアがモデルとなった『ラ・ベル・フェロニエール(ミラノの貴婦人の肖像)』の美しい出来栄えに嫉妬する彼女。
数百年前の人物の人間らしい感情により、さらに生き生きとした作品に見えてきます。

そのうちに登場人物が喋りかけているのが我々観客なのか、あるいは同じ時代の登場人物なのかと、混乱してきます。
ただ間違いないのは、当時も現在も、レオナルドが天才であるのは人々にとって変わりないということ。

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ミラノ滞在時代に手がけたレオナルドの作品が多数登場しますが、どれも目を見張るような鮮明な美しさ。世界初の4Kスキャン映像が用いられています。
圧倒的な映像美に見とれているうちに映画は終了。

そののち、東京造形大学の池上英洋教授と、美術ブログ「青い日記帳」主催者Takさんの熱いトークショーが行われました。

ダ・ヴィンチ研究者の池上教授は、いくつか映画の指摘点を挙げられました。
レオナルドの愛弟子のサライもメルツィも、弟子というより稚児という立場の方が近く、例えるならば『ヴェニスに死す』のビョルン・アンドレセンのイメージだとか。
サライは『洗礼者ヨハネ』の顔つきだと思っている私も、もっと美少年だったはずだという意見に賛成です。

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また、ミラノ公ルドヴィコが「ダ・ヴィンチは私の父の像を作らなかった」と言ったセリフには、語弊があるとのこと。
実際には、レオナルドは銅像を作るために、型まで取って大量のブロンズを用意していたそうです。
しかしその時にミラノとフランスが戦争を始めたため、そのブロンズは武器に使われたのだそう。

ミラノとフランス間の戦争に敗れたルドヴィコは捉えられ、パトロンを失ったレオナルドも、空爆を受けるミラノの町から離れたそうです。

彼の作品の中で最大サイズの『最後の晩餐』は、修道院の食堂の壁に描かれたフレスコ画。
freshの語源となっているように、すぐに乾いてしまうため、その場でどんどん描き込んでいかないといけませんが、黙考型の彼は、即断即決で描かずに済む新たな手法を編み出したとのこと。
よく『最後の晩餐』の制作現場に遊びに来ていたという、当時の修道院長ヴァンテルロの甥が、後に作家になり手記を書いたことで、レオナルドの制作風景が世に伝えられることとなりました。

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ミラノを占領したナポレオン軍は、修道院を厩舎にして、あろうことか壁を的当てに使いました。
あの作品が残ったのは、奇跡に近いものがあります。
「フランス兵はスフィンクスの鼻のこともあるので信用ならない」と教授。確かに、文化の国のはずなのに、軍隊は歴史的遺産をあまりにもぞんざいに扱っており、美術研究者が嫌うのも納得です。

『ラ・ベル・フェロニエール』は、頬に赤いドレスの光沢が反射しているのが斬新な表現。
指摘を受けなければ気がつかなかった点で、やはり専門家の解説は大切だと思います。
これは、ダ・ヴィンチが工学を学んだことで、取り入れた手法なのだとか。

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『白貂を抱く貴婦人』は、(当時ペットとして飼われていたんだろう)と思っていましたが、そうではないそうです。
宗教画によく見られる、子牛や子羊など動物を抱く図は、モデルが実際にその動物を抱えているわけではないようです。
近くにいる動物を、とりあえずモデルに持たせており、それはたいていが猫なのだそう。

実際の白貂は、動物園でスケッチするとのことで、当時すでに動物園があったことに驚きます。
もともとスケッチ重視の彼は、二つのスケッチを後で組み合わせたため、いまいちしっくりこないこともあり、この作品もそうした描き方で制作されたのだそうです。
たしかに、モデルの手つきを見ると、実際にはもっと大きくフカフカした猫を撫でているような気がします。

また、女性に興味がなかったという彼の描く女性像は、セクシーではないものの、普遍的母性があらわれ出ており、それが魅力となっているとのこと。
彼の女性が中性的で謎めいているのは、そういった理由もありました。

「研究者の数だけ説がある」と言われるダ・ヴィンチ。
いまだに多くの謎に包まれており、私たちの興味をかきたててやみません。

数年後に没後500年となるレオナルド・ダ・ヴィンチ。
画家の生きた当時と現代が違和感なく結び付けられ、半世紀たった今もなお、人々を引きつける彼の魅力に近づける作品です。

映画は1月28日より全国ロードショー。
◆ オフィシャルサイト