2017年06月28日

歩行のメソッド 〜自分の美しさを知る〜

2017年6月17日(土)at 千駄ヶ谷社会教育館
by 矢田部 英正 [ 日本身体文化研究所 所長 ]、(c)シブヤ大学

最近、ウォーキングが見直されていますね。少し前までは、1日1万歩歩けばいいと言われていましたが、最近では、歩数よりも歩き方が見直されつつあります。
誰もが無意識のうちに歩いているため、とても簡単なものだと思われがちですが、間違った歩き方では、せっかく歩いてもあまり効果が出ないどころか、変に癖がついた歩き方だと、逆効果になる可能性も生じます。

今回は、初心にかえっての歩き方講座。さまざまな年代の人が参加しました。
まずは、みんなで何も考えずに歩いてみて、その様子を動画に取り合います。
それから、先生のレクチャー。

IMG_2647.jpg


日本に来た西洋人は「日本人は歩き方が変だ」という感想を持つそうです。
-確かに私の海外の友人も、来日時に驚いていました。
とりわけ若い女性が内またでポテポテと歩く様子が奇異に映るようです。
これは、足全体を使っていないから。
西洋人はかかとから地面につき、重心を乗せて前に踏み出します。
そのため、西洋人が日本で買った靴を履くと、まずかかとがダメになるそうです。

内または、かわいらしさを表すだけでなく、日本舞踊から来ている伝統的なもの。
日本は、生活スタイルは西洋式になりましたが、歩き方だけ、まだ日本式なので、外国人の目にはおかしく映るようです。

以前先生が調査したところ、女子大生の97%が外反母趾であり、健康な脚は3%のみだったそう。
問題は見た目だけではありません。正しい歩き方をしないと、脚の骨格が歪んでしまいます。
それには、自分で意識することが大切だということです。

とはいえ、今回は「美しい歩き方」は目指さないという先生。
あくまで「自分に合った歩き方」を探すのが目標なのです。
人の骨格はひとそれぞれ。自分にとって無理のない自然な歩き方をすれば、それが美的な印象につながっていくというわけです。

日本人は、着物を着た時のすり足の意識が残っているため、歩く時に膝が伸びておらず、歩幅が小さく、ちょこちょこ歩くそう。
ずるずると靴を引きずって歩くのは、日本人だけだそうです。 

着物を着た時には、膝を曲げてすり足になる歩き方でいいのですが、洋服を着ている場合には、やはり西洋式の立ち居振る舞いが合うものです。

和服を着た時には指先に、洋服姿の時にはかかとに体重をかけます。そしてまっすぐ立ち、目線を高く持つだけで、背筋は伸びます。
西洋の歩き方というと、ファッションショーのモデル歩きを連想しますが、あれは見せ方の表現で、腕はわざわざ振らなくてもいいのだそう。

適切な歩き方を知った上で、今度は実践です。
近くの人とペアを組んで、互いの手の指に触れ、骨をなぞってもらいます。
それから素足になり、指のどれかを押してもらます。
普段、素足で生活していないため、自分の足のどの指を押されているのか、なかなか当てられないことに驚きます。
そうやって、自分の手足の骨格に意識を向けます。
これまで自分の骨に注意を払うことなんてありませんでしたが、不思議なことに、これで見違えるほどに体幹バランスがよくなります。

すると、歩き方にも変化が。
骨格を意識したことで、足の裏全体を使って歩くようになりました。
ふたたび動画に撮ってもらうと、我ながら違いがはっきり分かります。
前よりもスッキリと歩けていました。
めいめいに歩き方の変化を実感して、参加者からは驚きの声が上がりました。

「かかとから歩きなさい」と言われて、その通りに歩こうとすると、頭で指令を出すことになるため、ぎこちない動きになるんだそう。
自然な動きは無意識から。考えずに身体が動くようになるには、練習が必要だそうです。

これが、自分の骨格に合わせた歩き方。
無駄な筋肉を使わないため、血の巡りが良くなって、肌がきれいになり、心が爽快になるそうです。いいことづくし!

参加者の皆さんは、はじめは静かに、おとなしそうに会場に入ってきましたが、受講後には生き生きと胸を張って、颯爽と帰って行きました。
意識ひとつで歩き方が変わり、歩き方ひとつでその人の持つ雰囲気も変わるんだなあと実感できた授業でした。

* こちらのレビューは、シブヤ大学公式サイトの
「歩行のメソッド 〜自分の美しさを知る〜」授業レポートにも
写真と一緒に掲載しています。

posted by リカ at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 【events】体験コース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月13日

出雲の古墳ナイト in 銀座HANDSEXPO

@ハンズエキスポ銀座
by まりこふん(古墳シンガー)、丹羽野裕(島根県教育庁文化財課課長)、テリー植田(イベントプロデューサー)
主催:島根県立古代文化センター・HANDS EXPO

IMG_2551.jpg


面識があるテリー植田さん、まりこふんさん、さらに裏方で古墳にコーフン協会の伊藤理事長が銀座でイベントを行うと聞いて、参加しました。
出雲の古墳に詳しい、島根県教育庁文化財課の丹羽野課長も登場してのトークショーです。

去年出雲旅行をして、神話の里の寺社仏閣巡りをしましたが、古墳には一つも訪れませんでした。
まあ普通はそうだと思いますが…いったいどんな古墳があるのでしょうか。

IMG_2560.jpg


会場で、島根の名産5品をいただきました。
・島根和牛ローストビーフ
・浜田のB級グルメ 赤てん
・和菓子「花けしき」
・和菓子「松韻」
・出雲生姜ジンジャーエール

IMG_2555.jpg


中でも「じんじゃエール」は、出雲の万九千神社の遷宮記念として作られたもの。
その神社の神主さんと友人で、去年訪れてこのエールをいただいています。
地元で採れたジンジャーの風味がきいています。

IMG_2564.jpg


まりこふんさんの歌で始まり、壇上の3人の軽快なトークが展開しました。
テリーさんはまりこふんという名前の名付け親。古墳への愛が強すぎて暴走しがちな2人のストッパー役となっています。

IMG_2562.jpg

『鷹の爪』の吉田くんも登場。すっかり自虐が板についています。

出雲の古墳についての説明。まりこふんさん著の古墳の本も読みましたが、本も、そしてPPTもかわいらしくわかりやすくまとめられています。
歴史的には縄文時代、弥生時代、そして古墳時代があって、飛鳥時代、奈良時代へと移ります。
古墳は1500年前の古墳時代と飛鳥時代の頃に、作られた墳墓です。

古墳にはいろいろな形があります。
出雲には、特に「前方後方墳」と「方墳」が多いのだそう。
緑の古墳クッションを使って、丁寧に教えてくれました。

IMG_2567.jpg


古墳といったら、各県に数個くらいしかないものかと思っていましたが、とんでもない!
なんと、全国に16万基あるそうです!!そんなに〜!?
コンビニよりも多いどころか、3倍の数になるそうです。
全ての古墳を探訪しようとしたら、ライフワークになりますね。
ちなみに島根県内に、古墳は5,000基以上あるそうです。

その中からいくつかの県内古墳を紹介してもらいました。
6世紀末の上塩冶築山古墳の石棺を模した手作りの石棺小箱が、会場で販売されていました。
出雲の古墳の消しゴムハンコや、山城方墳の死床のケースもありました。
どう使うものなのか気になります。
巨大石棺のある大念寺古墳はお墓自体が古墳になっており、八雲立つ風土記の丘資料館は、前方後円墳の形をしているのだそう。

IMG_2568.jpg


こちらは松江の太田古墳群の三号墳。宇宙船のような面白い形をしています。
まりこふんさんにとっての好きな古墳ベスト3は、この古墳に出会ったことで変わったのだそう。
中に入っての記念写真が幸せそうです。

IMG_2571.jpg


最後に再びまりこふんさんのライブで会はお開きに。ロックの日(6/9)に、墳キー(ファンキー)な歌声で「古墳にコーフン」を歌ってくれました。
熱いトークを聞いていると、太古の昔の古墳もなんだか生き生きとしたものに見えてきます。
知らないことが多い古墳が、この夜でぐっと身近なものになりました。
近場では、多摩川沿いに古墳が多く、いいお散歩コースになっています。
古墳を巡る旅は、古代文明探索のようでおもしろそう。
これからは私ももっと古墳にコーフンしながら、古墳ライフを深めてみようと思います。

2017年06月12日

フランス絵画の宝庫 ランス美術館展

at 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
e199571.jpg
ポール・ゴーギャン「バラと彫像」1889年


パリの東130kmほどにある、フランス北東部シャンパーニュ地方の中心地ランス(Reims)は、歴代の王が戴冠式を挙げた、世界遺産のノートルダム大聖堂で知られている町です。
そのランス美術館コレクションの17世紀から20世紀までの作品とランスに縁の深いレオナール・フジタ(藤田嗣治)の作品コレクションの展覧会が開催中です。

     1.国王たちの時代
     2.近代の幕開けを告げる革命の中から
     3.モデルニテをめぐって
     4.フジタ、ランスの特別コレクション
     「平和の聖母礼拝堂」のための素描

1.国王たちの時代

ブルボン王朝が始まった16世紀から、太陽王ルイ14世治世の17世紀、ロココ調の18世紀と、フランスの芸術は飛躍的な発達を遂げました。

カラヴァッジオ風の陰影を描いた画家を「カラヴァッジェスキ」というそうです。
その代表とされるテオドール・ロンブーの「コンサート」(17世紀)。
3人の音楽家がクローズアップされていますが、真ん中の人物は、楽器をひっくり返しているため、コンサートとは呼べないような図柄になっています。

フランドル画家、ヤーコブ・ヨルダーンスの「サテュロス」(17世紀)
サテュロスはバッカスの従者。ヤギの特徴をもつ半獣半人の姿で描かれます。


2.近代の幕開けを告げる革命の中から

ダヴィッド「マラーの死」

20170422_art01.jpg
ジャック=ルイ・ダヴィッド(および工房)「マラーの死」(1793年7月13日以降)

(あれっ?)と思いました。この絵、ベルギー王立美術館で何度か観たことがあります。
構図も何もかもがそっくり。どういうわけでランス美術館に?
でも、大きさがどうも違う気がします。ベルギーで観たものは、もっと大型作品だったように思います。
ダヴィッドが、同じ構図、同じタイトルの作品を複数描いていたのかと思いましたが、よくわかりませんでした。
原画はベルギー王立美術館所蔵のものであり、Wikipediaには「ダヴィッドの弟子が手がけた複製画が何枚か現存しており、ディジョン、ランス、ヴェルサイユの美術館などで見ることができる」とあります。
本作はダヴィッド(および工房)作となっていることから、作画には弟子の手も入っていると見做すのがよいのでしょう。

暗殺という息の詰まる一瞬を、崇高に描き上げた一枚。新古典主義らしい作品です。
これは英雄の悲劇的な死という、マラーを礼賛した描き方になっているとのこと。
ミケランジェロの『ピエタ』としばしば比較されているとのことは、知りませんでした。

ちなみに制作年月日が「1793年7月13日」とされているのは、この日がマラー暗殺日だからです。

ドラクロワ「ポロニウスの亡骸を前にするハムレット」

20170422_art02.jpg
ウジェーヌ・ドラクロワ「ポロニウスの亡骸を前にするハムレット」(1854−56)


ドラクロワは19世紀ロマン主義を代表する画家。政治家タレーランの子という噂があったそうです。
新古典主義の巨匠アングルと比べられた彼の作品は、往々にしてオリエンタリズムに満ちたものとなっています。
これはシェイクスピアの『ハムレット』の作中シーンを描いたものです。

デュビュッフ「ルイ・ポメリー夫人」

174811.jpg
エドゥアール・デュビュッフ「ルイ・ポメリー夫人」(1875)


知らない画家ですが、大判の華やかな作品が目を引きました。
シャンパーニュ地方らしく、描かれているのはシャンパン会社、ポメリー社の社長息子の妻。
青いドレスの美しさとモデルの健やかな美しさが印象的でした。

3.モデルニテをめぐって

ポール・ゴーギャン「バラと彫像」 1889年

今回のポスターになった作品。(1枚目画像)
一見、よくある静物画のようですが、なにげないようで緻密に計算された絵なのだそう。
薔薇が光線の加減で青やピンクの影を帯びている様子が描かれており、安定の良さを感じました。

ピサロ「オペラ座通り、テアトル・フランセ広場」

20170422_art05.jpg
カミーユ・ピサロ「オペラ座通り、テアトル・フランセ広場」1898年


ピサロはパレ・ロワイヤル広場に面したホテル≪グラン・ドレル・デュ・ルーヴル≫の一室から眺めたパリの風景を連作的に描いた作品を10作近く残しており、これもその一枚となります。
通りの奥に見えるのがオペラ座。
馬車が行き交う、アール・ヌーヴォーや世紀末芸術で華やいだ、豊かな19世紀末パリの雰囲気が伝わってきます。

4.フジタ、ランスの特別コレクション

藤田嗣治は、フランス人となり洗礼を受けたのち、レオナール・フジタとして活躍し、自ら作成したランス礼拝堂に眠っています。
シャンパンのG.H.マム社は、フジタがデザインしたバラの絵を今でもふたのデザインに用いています。
この美術館は、シャンパーニュ地方のランスと縁が深かった彼の作品コレクションも有しており、今回特別コレクションとして30点弱の作品が展示されました。

「少女」(1957年)は、みずみずしいタッチで描かれていますが、彼が71歳の時の作品だと知り驚きました。
「猫」は、おそらく彼本人が作成しただろう木彫りの額に注目しました。

レオナール・フジタ「マドンナ」
b5d.jpg
レオナール・フジタ「マドンナ」1963年


「乳白色の肌」と言われる、輝く独特の乳白色を用いたフジタですが、これは珍しくも、聖母マリアを黒人として描いています。取り囲む天使たちもみな黒人たち。
もともと中東の人なので、実際からは遠からずといったところでしょう。
このマリアは、映画「黒いオルフェ」の女優、マルベッサ・ドーンがモデルとなったそうです。
言われてみれば、確かに現代風の顔つきです。

あまり知識がないままに訪れた展覧会でしたが、行ってみるとかなりの傑作揃いで、見がいがありました。
この展覧会は、6月25日(日)まで開催中です。
「フランス絵画の宝庫 ランス美術館展」

posted by リカ at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 【finearts】西洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

創建1250年記念 奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝

IMG_2619.jpg


西大寺は、奈良時代の後期に女帝・孝謙上皇(後に称徳天皇)によって創建された、南都七大寺の寺院の一つ。
平城京の東大寺に相対する位置に建立され、今回はその創建1250年を記念する展覧会となります。

展示されるのは仏像や仏教絵画、密教法具といった工芸品の数々で、西大寺のほか、元興寺・浄瑠璃寺・白毫寺、極楽寺・称名寺といった真言律宗一門の所蔵品が一堂に展示されます。

この展覧会の見どころは、次の3点です。(公式サイトより)
@ 総本山西大寺の寺宝を一堂に
創建1250年を記念し、西大寺蔵の彫刻や絵画、工芸、古文書など国宝、重要文化財を含む名宝の数々を公開します。

A 真言律宗一門の諸仏と宝物
京都・浄瑠璃寺の秘仏、重要文化財「吉祥天立像」を東京展・大阪展にて期間限定で公開します。また真言律宗一門から選りすぐりの寺宝を展示します。

B 地域性も豊かな展示構成
鎌倉時代以降、東国・畿内・瀬戸内や九州に至る真言律宗の地域的な広がりと信仰のかたちを紹介。当時の僧侶や関係者の足跡を辿ります。

第1章:西大寺の創建
第2章:叡尊をめぐる信仰の美術
第3章:真言律宗の発展と一門の名宝

img_about_01.jpg
西大寺東塔跡と本堂(重要文化財)


第1章:西大寺の創建

奈良を訪れるほとんどの観光客が東大寺の大仏を観に行くと思います。
対となる西大寺は、東大寺に向かう道すがらの近鉄奈良線「大和西大寺駅」そばにあるものの、駅は乗り換えに利用されることが多く、意外にも参拝者が少ない、穴場の場所。
数年前に訪れた時も、上の画像のように、人の少ない静かな寺院でした。

今回は、真言律宗の総本山である西大寺に加えて、鎌倉の極楽寺や横浜・金沢八景の称名寺といったなじみ深いお寺の所蔵品も展示されています。

まずは密教法具の「金剛杵(こんごうしょ)」が何点も展示されています。
空海の肖像画に描かれているもので、鈷(こ)の数が異なる独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵の三種類が金剛鈴と一緒に金剛盤の上に置かれていました。

[国宝]「十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」
Urkw9.jpg
[国宝]「十二天像」のうち「閻魔天像」「火天像」「帝釈天像」「水天像」(奈良・西大寺)

密教の修法道場を守護する護法神、十二天像の仏画。
9世紀の制作とされ、十二天画像としては現存最古の作例。12幅完存です。
会期の前期は「帝釈天像」「火天像」、後期は「閻魔天像」「水天像」と2幅ずつの展示となり、私が観たのは「閻魔天像」(左上)と「水天像」(右下)でした。

ほとんど剥げており、顔の部分などはよくわからなくなっていますが、同行者は「水天のそばに蛙が見える!」と恐れをなしていました。
言われてみればそうかしら、といった程度ですが、カエルが苦手な人は一瞬でわかるようです。

第2章:叡尊をめぐる信仰の美術

[国宝] 興正菩薩坐像

1.jpg
[国宝] 興正菩薩坐像 鎌倉時代・弘安3年(1280) 奈良・西大寺
画像提供:奈良国立博物館 (撮影 森村 欣司)


真言律宗は空海を高祖とし、鎌倉時代中頃の西大寺の高僧、叡尊(興正菩薩)を中興の祖として仰いでいます。
新たに国宝に指定された「興正菩薩坐像」は安定感のある坐像。法衣の流れにも静けさと写実性が感じられる、叡尊80歳の寿像です。

元興寺の「聖徳太子立像」は、太子2歳と16歳の時の像で、どちらも重要文化財。

五輪塔などは梵字で書かれたものが多く、なにがなんだかわからなかったため、解説があればいいのにと思いました。

[重文] 文殊菩薩騎獅像及び四侍者立像のうち文殊菩薩坐像・善財童子・最勝老人

20170520_2401285.jpg
[重文] 文殊菩薩騎獅像及び四侍者立像のうち文殊菩薩坐像 鎌倉時代・正安4年(1302)
奈良・西大寺 画像提供:奈良国立博物館(撮影 森村 欣司)


叡尊は文殊菩薩信仰に基づいて、多くの慈善事業を行っています。
これは叡尊の没後に弟子たちが発願し、13回忌の正安4年4年(1302)に完成した、中国五台山の文殊信仰に基づく文殊五尊像。
中央の文殊菩薩像は、通常は神象の上に乗っていますが、ここでは象から降りた形での展示。
そのため目線が近く、穏やかな表情や細かな細工の装飾品がよく観られます。
傍らの善財童子の仕草がかわいらしかったです。

第3章:真言律宗の発展と一門の名宝

[重文] 吉祥天立像(京都・浄瑠璃寺)

3.jpg
[重文] 吉祥天立像 鎌倉時代 京都・浄瑠璃寺
画像提供:奈良国立博物館(撮影 佐々木 香輔)


今回の私の一番のお目当ては、この浄瑠璃寺の吉祥天でした。
浄瑠璃寺でも拝観期間が限られており、秘仏とされる吉祥天を都内で観られる絶好のチャンス。
しかしながら6/6〜6/11の6日間しか公開されないため、混雑を覚悟で向かいました。

会期終了間近ということもあり、全体的に会場内は混雑していました。
通常は、入り口付近が混雑していても、進んでいくにつれ人がばらけて、空いてくるものですが、今回は最後の方の展示室7に、人が密集していました。
黒山の人だかりの前に、吉祥天立像が。
誰もが、この像を楽しみに訪れたようです。

もともとはみうらじゅん氏が『見仏記』でべた褒めしていたことから知った、浄瑠璃寺の吉祥天女。
写真では何度も目にしていますが、やはり実際は違いますね。
厨子に入っているとのことで、小さな像を想像していましたが、像高90.0cmの、堂々とした立ち姿。
予想よりもはるかに美しく、色白の丸みを帯びた顔つきは人間的かつ気品に満ちたもので、風をはらんだようにふくらんだ衣裳のドレープもすばらしいものでした。
人の波に右に左に押されながら、見ても見ても飽きることはありません。
たしかに「日本一の別嬪像」だと言われて頷けるものです。
みうら氏同様、私もすっかりこの像の魅力に参りました。またお会いしたいなあ。


IMG_2618.jpg


東京の後は、大阪と山口で開催されるこの展覧会。
三井記念美術館の次の展示は、ぐっとゆるくなって「地獄絵ワンダーランド」となるそうです。
● 『創建1250年記念 奈良西大寺展 叡尊と一門の名宝』

2017年06月02日

「名刀礼賛 もののふ達の美学」内覧会

e202390a.jpg2017年5月31日(水) 泉屋博古館 分館

黒川古文化研究所と泉屋博古館の連携企画特別展「名刀礼賛 ― もののふ達の美学」ブロガー内覧会に参加しました。

兵庫県西宮市に位置する黒川古文化研究所(昭和25年設立)は、東洋の古美術を2万点以上所蔵し、国宝・重要文化財を含む名刀の一大コレクションで知られています。
今回は泉屋博古館との連携企画により、東京で初めて、研究所の所蔵品が公開されることとなりました。

展示されるのは、国宝「短刀 無銘(名物 伏見貞宗)」や重要文化財「太刀 銘 備前国長船住景光」といった国宝2口、重文10口を含む、平安時代から江戸時代までの刀剣約30口と、刀装具や書画など。
「刀剣」「拵えや鍔などの刀装具」「武士が描いた絵画」の三部構成で展示されています。
 ※特別に展示室での撮影許可を頂いております。

1.jpg


泉屋博古館の野地分館長の挨拶のあと、黒川古文化研究所の川見典久研究員によるギャラリートークがありました。
磨き抜かれた日本刀を前にすると、その美しさと妖しさに取り込まれそうな気持ちになって、ただ茫然と見入っている私。
今回はもっと詳しく鑑賞できるよう、初心者にもわかりやすい解説をしていただき、刀の鑑賞ポイントとなる「地肌」「姿」「刃文」の3点を学びました。

1a.jpg
黒川古文化研究所 川見典久研究員による解説


鎌倉時代に作られた太刀は太く長いものでしたが、戦国時代になると馬上で刀が抜けやすいように、実用的に刃長が短くなり、また腰に差すようになったことで更に短くなり、銘がなくなっていったそう。
さらに実際に使っている刀は、研ぐ必要があるため、研ぐにつれて必然的に細身になっていったそうです。
そして、後の時代になると切っ先が太くなったのだそう。普通は重さ1kgほどだそうです。

実際に刀として使われながらも作られたままの形状を保つ古刀はもはや存在せず、時代を経て太刀が刀になったものもあるそう。
神社などに奉納され、実際に使用されなかった古刀のみが完成時の形で保存されているとのことです。
「細身で腰ぞりの刀は上品」との川見氏の言葉に、なんだか色気を感じるなと思いました。

時代ごとの使い方に合わせて少しずつ形が変わっていった刀。
歴史の変遷を雄弁に語っています。

【T 刀剣】
1-2.jpg

右は室町時代の太刀、左は江戸時代の刀。
太刀は刃を下にし、刀は上に向けるのが、太刀と刀の大きな違いです。


国宝は鎌倉末期の刀2点。
京都の刀工、来国俊(らいくにとし)の作で徳川将軍家伝来の国宝「短刀 銘 来国俊」と、貞宗作と伝えられる「短刀 無銘(名物 伏見貞宗)」です。

「伏見貞宗」は、8代将軍・徳川吉宗(1684〜1751)の命で編さんされたといわれる『享保名物帳』に「近江源口藩主加藤家所有の伏見貞宗」として掲載された名物刀剣の一つ。
「貞宗」とは、「正宗」の後継者と言われる相模国の刀工。
刃の長さ30.2cm。表には不動明王、裏には毘沙門天の種字が彫られています。
目利きの本阿弥家13代光忠により「金子三百枚」と大付された折り紙が附属しています。
賤ヶ岳の七本槍・七将の一人、加藤嘉明が入手したとのこと。素晴らしい刃文でした。

中世期には、日本刀の大半が備前で作られました。
今回も備前刀が13振展示されており、ほかと比べて、ダイナミックな波紋を持つという印象です。

IMG_2414.jpg


「折り紙」とは本阿弥家による刀剣の鑑定書。
室町時代以降、刀剣が贈答品としても取り扱われるようになり、その価値を証明する必要が生じたそうです。
なぜかというと、価値がわからなければ、お礼のお返しが決められないから。
日本人の風習は、昔も今も変わっていませんね。
「折り紙付き」という言葉の語源は、ここにあるそうです。
なるほど!初めて本来の用途の折り紙を見ました。
普通の正方形の色折り紙とは違い、墨で記され、花押が押された証明書を蛇腹折りにしたものが、言葉の由来となったものでした。

IMG_2409.jpg


梅花皮鮫(かいらぎざめ)の皮で作られた明治時代の鞘脇指拵がありました。
梅の花のような模様が浮き出た、華やかな逸品でした。

江戸時代に作られた日本刀は「新刀」とされます。
国包の「刀 銘 山城第禄藤原用恵国包」がありました。
国包(くにかん、初代仙台国包)は、伊達政宗の銘を受けて上洛して鍛冶を学び、のちに仙台に戻って名刀をんだ刀工。国包(二代目以降の読みはくにかね)の名は、明治の13代目まで続きました。

また、井上真改の「刀 銘 山城第禄藤原用恵国包」もありました。
大阪正宗と言われた刀工で、刃には不動明王の化身、倶利伽羅剣が刻まれていました。

【U 拵えと鐸・刀装具】
41-42.jpg



江戸時代になると、武士達が戦で刀剣を使うことは、実際にはほとんど無かったそうです。
派手な鞘を作れなくなったこともあり、変わりとして刀の鐔(つば)や目貫といった刀装具の細工に凝るようになりました。
49点の刀装具を展示。冒頭に展示されていた守長「太刀 銘 守長造」の附属物もありました。

IMG_2407.jpg


さまざまな技法を駆使して、鐔、小柄、笄(こうがい)といった小さな刀装具に花鳥風月、故事、和歌などの意匠を表しています。
鍔の素材が多岐に渡ることを、初めて知りました。

IMG_2408.jpg


御用彫物師の後藤家の作品もありました。細工の精巧さを確かめたくて、手元ルーペが欲しくなります。
今回の展覧会では、そんなニーズに応えて、単眼鏡の無料貸し出し・販売も行っています。

【V 絵画−武士が描いた絵画】
IMG_2415.jpg


戦がない間、絵画を描き、その才能を開花させて、画家となった武士もいました。
渡辺崋山といったら蛮社の獄ですが、彼は武士であると共に画家でもありました。
彼の弟子として作画を学んだのが椿椿山(つばきちんざん)。
その師弟の作品が並んで展示されていました。

刀剣の一大コレクションを誇る黒川古文化研究所の所蔵品を目の当たりにできるのは、都内では初めてのこと。初心者にもわかりやすいような解説パネルもあります。
時代ごとの刀や装身具の変遷がわかるとともに、刀を通して武士の教養の高さと美意識を感じることができ、たしかに「名刀礼賛 もののふ達の美学」という名の通りだと納得できる展覧会となっています。

特別展「名刀礼賛 ― もののふ達の美学」
 開催期間:2017年6月1日 〜 2017年8月4日
 開館時間:10:00〜17:00 (入館は16:30まで)
 会 場:泉屋博古館 分館(東京都港区六本木1-5-1)
 休館日:月曜日(祝休日の場合は開館し、翌日休館)