2011年12月04日

『柳宗悦展』

0bd73c8b-s.jpg横浜そごう美術館

民芸ときいたら、民芸品と劇団民藝くらいしかピンときませんでしたが、去年京都のアサヒビール大山崎山荘美術館で「民藝展」を観て、民芸品の持つ素朴なあたたかみを再認識し、心惹かれました。
今回は、柳宗悦展ということで、人物を中心に、彼がその価値を見いだし、芸術の域に高めた民芸について紹介されています。

柳宗悦の生涯について全く知らず、『白樺』の創刊者の一人だったとわかっておどろきました。
はじめは文筆活動をしていたとは。
ウイリアム・ブレイク、ロダン、デューラーなどの重々しい作品を好んだ作派だということも知りました。
そして、西洋美術から日本や朝鮮の工芸へと視線を移していったそうです。

彼が朝鮮工芸の静けさ、素朴さに惹かれたということは知っていましたが、当時日本の植民地だった朝鮮への国家対策を批判し、文化の紹介と保護に努めたなど、文化保存に向けて積極的な活動をしていたということは知りませんでした。

彼の収集した朝鮮工芸品の中に、石製のものがあり、(石で作られたものをこういった場所で見るのは珍しいな)と思いました。香炉など、凝った彫りのものでした。

0bd73c8b-s - コピー.jpgまた彼は、木喰を再発見した人物だそうです。
木喰が作った千体の仏像は、柳氏の時代にはほとんどその作品の消息がつかめなくなっていた中、日本中から350体を収集したということで、その熱意に感服しました。
会場にも、2体が展示されており、嬉しい限りでした。

関東大震災がきっかけで、東京から京都に居を移したという彼。
(そうした芸術家は今年も多かったんだろうな)と、3月の震災と重ねて考えます。
無名の作者による古い生活用具に美を見いだし、京都の朝市で買いあさったという彼。
民藝とは、彼が提唱した新語だと、ここで知りました。私は本当に何も知らなかったわけです。
「ティサージ」なるものもなんのことかわからず、後で調べてみたら、手ぬぐいのことでした。

彼は制作者ではなく、コレクターなんだと、この辺りでわかってきました。
展示されているものは、すべて彼が見いだし、収集した品々。
金具屋の看板が飾られていました。かつては看板に、その店で売っている金具を直接打ちつけて、人に知らしめていたと知ります。
そののち、識字率が高まるに従って、看板はペンキで文字を書かれたものに写っていったとのことでした。
両面に金具が打ちつけてあると説明にはありながら、展示方から一面だけしか見られなかったので、縦に飾って、裏表両面見えるようにしてもらえればよかったです。
バラバラのようでありながら、生活の中の機能的美という大きな世界を形作っている作品ばかりです。

また、朝鮮だけではなく、アイヌや台湾、沖縄などの先住民族の文化の保護にも努めました。
なかなか、社会文化学的な活動もしていたんだなあと思います。
津軽の「こぎん刺し衣装」は、機械的なほどに単一な縫い目が特徴ですが、「制約が美に繋がる」という見方で、コレクションに加えたのだとのこと。
やはり目の付けどころが凡人とは違うようです。
また「ばんどり」という衣装は、初めて見るものでしたが、鳥の羽の飾りなどあり、気になりました。
着用すると、どういった形になるのか、マネキンもしくは写真を展示してほしかったものです。

柳邸で行われた茶会で使用された、朝鮮の大きな火鉢、風炉は、これまた見慣れぬもので、興味シンシン。
使い方について、そばにいた学芸員さんに尋ねてみました。

民芸品だけでなく、仏教や茶など、幅広い民衆の文化への造詣が深かった彼。
「民芸とは、民衆による民衆のための芸術」ということばに、リンカーンの独立宣言「For the people, by the people」を重ね合わせました。

こういった研究家は、内にこもるものというイメージがありますが、彼は行動的で、民藝を守るという活動、つまり民藝運動に熱心。
イニシアチブを取って働きかけており、茶の家元制度など、古い慣習を批判するなど、先駆的な人物だったということも意外でした。

芸術を見極めるのに、知識はいらず、直感力と鋭い感性を頼りにしていた彼。
また、公平な目線を持ち、個々の文化への尊敬を絶やさなかったという、人の立ち位置として素晴らしい人物だったことが見えました。

棟方志功が彼の弟子だったというのも初耳。当時の文化人同士の交流がおぼろげながらわかってきました。

会場には、一人で来ている20代風の女性の姿が目立ちます。
展示品をぐるりと見回して、(懐かしいと思うには時代が古すぎるなあ)と思いました。

最後に、彼の息子である工芸デザイナー、柳宗理の作品も展示されていました。
名前が似ていて、混乱しますが、写真を観ても、親子そっくりの顔をしていました。
息子は、バウハウスやアフリカのプリミティブ美術などに詳しく、また雰囲気が違います。

雑誌で、イームズ家にある砂糖入れは、実験用の蒸発皿だったと紹介していました。
機会も手工業も、どちらもよしとする彼は、機能的な作品を多々生み出しており、私もパンチングストレーナーを使っています。
バタフライスツールの無駄なものがない美しさに見惚れました。

彼が生涯かけて集めた膨大なコレクションを観賞し終えて、「芸術は、なにも選ばれた人だけの選ばれたものではなく、日常の中にあるものだ」と日本芸術の潮流に新たな流れを生み出した彼の功績は、実に大きいものだったなあと感じました。
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