2012年11月11日

マリー・アントワネット物語展

20120916232511f9c.jpgそごう美術館

激動の生涯を送ったフランス最後の王妃、マリー・アントワネットの展覧会。
いそいそと会場へ向かうと、いかにもお姫様調の内装となっており、観客は見事に女性(もしくはカップル)ばかりでした。
「ベルばら」効果も大きいし、ドラマチックでゴージャスな彼女は、日本では不動のプリンセスですからね。

ハプスブルク家、今のオーストリアで暮らしていた頃は、マリア・アントニアと呼ばれていたそうです。
ドイツ語読みにすると、全くイメージがつながりません。

フランスにいたのは、14歳で輿入れしてから37歳で断頭台の露と消えるまでの間。たった20数年間でした。

冒頭では「ヴァロワ朝を守ろうとしたカトリーヌ・ド・メ ディシス(イタリア人)や、ルイ14世の母、アンヌ・ドートリッシュ(スペイン人)はフランスのために生きた女性だったのに(マリーはそうではなかった)」風のことが書かれており、二人について詳しく知らなかったため、あとで調べました。なかなか歴史の勉強になります。

マリーの嫁入り当時のパリの風景画もありました。
1605年に架けられ、今ではパリでいちばん古い橋、ポン・ヌフは、現在の橋の形態ですが、当時、橋の上に家がないのは画期的だったとのこと。
人々は河を眺めながら橋を渡ることができ、それが真新しかったそうです。

夫婦の性格は対照的だったにせよ、夫婦仲は決して悪くはなく、ルイ16世は愛人を持たなかったとのこと。
新婚当時は華やかなことが大好きだった外交的な彼女も、母になるときちんと子育てをしたとのことです。
あたたかみのある幸せな母子像。

ヴィジェ・ルブラン「マリー・アントワネットと子供たち」 
(1786-87年)ジャン・ド・ベアルヌ伯爵蔵
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マリーに寄りかかっているのは長女のマリー・テレーズ、膝の上にいるのは次男のルイ=シャルル王太子、揺り籠を指差しているのは長男のルイ=ジョゼフ王子。
空の揺り籠は、亡くなったばかりの次女のマリー・ソフィー・ベアトリスを意味しているそうです。

マリーの持ちものの中に「つけぼくろ入れ」なるものがあり、不思議に思いました。
当時は、白い肌を際立たせる効果があると、貴婦人は黒い布でつけぼくろをつけたそうな。
黒布のほかに、ノリやハサミも入っていたそうです。
その風習は、いつ無くなったんでしょうね。

また、映画『舞踏会の手帳』の元祖となるような、「スヴニール(思い出)」と言われる小箱も展示されていました。
そこには象牙の薄版メモと金のペンが入っており、舞踏会でダンスを申し込んだ相手の名を記す、宮廷の作法だったとか。
象牙と金なんて、優雅で贅沢ですね。

トリック=トラック(西洋すごろく)のテーブルもありました。
また、革命時に幽閉中のルイ16世が作ったナイフもありました。
王の手先の器用さがわかるクオリティの高さでした。

マリーの人気を凋落させたという「首飾り事件」。王妃が詐欺師の女性に騙されたということしかわかっていませんでしたが、相関図などでわかりやすい解説されていたため、その詳細が分かりました。

もともとは、ルイ15世の愛人デュ・バリー夫人用に作った豪華な首飾りだったのが、国王の死で夫人も没落し、買い手がいなくなったため、次なる購入相手としてルイ16世の妻マリーに白羽の矢が立ったものの、断られたため、宝石職人がラ・モット夫人という詐欺師の女性に相談したとのこと。
ラ・モット夫人は、王妃が欲しがっていると騙して、出世欲の高いロアン枢機卿に高価な首飾りを買わせたのがその事件の真相。
首飾りは夫人によりバラバラにされ、イギリスで売りさばかれたそうです。
悪事がばれ、ラ・モット夫人は公開むち打ち、焼印、そして終身刑となったが、脱獄してイギリスへ逃亡したとのこと。
物語のように大がかりな詐欺事件です。
マリーは事件のとばっちりを受けた被害者ながら、贅沢なイメージと結びついて、結果人気が凋落していったそうです。

フランス革命が起きて処刑された以後のことは、実は知らずにいました。
当然、手厚く葬られるはずもなく、ほかの革命による死亡者たちと同様、マドレーヌ共同墓地へ埋葬されたとのこと。
王政復古時代、元プロファンス伯ルイ18世が亡きがらをサン・ドニ聖堂へと移し、処刑から22年たった後、ようやくフランス最後の王妃として認められたそうです。
亡くなってなお、彼女にはドラマチックな運命が待っていたことを知りました。

年表を見て、娘のマリー・テレーズは95年に幽閉を解かれたと知り、さらに調べて、彼女もまた数奇な運命を辿っていたことが、わかりました。

マリーの恋人と噂されたスウェーデンのフェルセン伯爵は、革命時にマリーの逃亡の手助けをするなど彼女に献身的に尽くしたものの、その後はどうなったのか、彼の人生について、考えたことがありませんでした。
1810年にスウェーデン王族毒殺疑惑で民衆に虐殺されるという非業の死を遂げたそうです。
マリー同様に、民衆の手にかかってその一生を終えたことを知りました。

撮影禁止の館内で、一か所だけ撮影可のコーナーがありました。
復元されたマリーの衣装が展示されています。
ロマンチックな舞踏会ドレスや、今見ても奇抜な、帆かけ船型の帽子などを見て、当時のファッションリーダーであった華やかな時代の彼女をしのびました。

これは盛装用の「引き裾の宮廷衣装」。
ウェディングドレスのように純白で、長い裾がついています。
大きなリボンが豪華。女性は誰でも、憧れのため息をつくことでしょう。
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これは「フランス風舞踏会ドレス」。
カジュアルな仮面舞踏会で着用されるものだそうです。細かい刺繍が美しく、見入りました。
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これは『軍艦「ベルプル(美しき雌鳥)」のヘアスタイル』。
(えっ!)と人目を引くデザインのウィッグです。
彼女のお抱えヘアスタイリストが、次々に斬新な型を編み出していき、それが大流行したんだとか。
それにしても、これをつけたままでお辞儀できたのかしら?
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知っているようで、まだまだ知らないことがたくさんあったマリー・アントワネット展。
非常に興味深く観覧しました。

年明けには、今度はこの会場で「エリザヴェート展』が開かれます。
今回、予想以上に観甲斐があり、満足度の高い展覧会だったため、次回の展示会も、今から観るのが楽しみです。
posted by リカ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【finearts】その他 | 更新情報をチェックする
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