2014年05月31日

忍者・忍術学講座 in Tokyo ~忍者発祥の地・伊賀から~

IMG_2871.jpgat 三重テラス

  1 講演「忍者研究の最前線」
     山田雄司三重大学人文学部教授
  2 講演・実演「伝承される忍者」
     川上仁一三重大学社会連携特任教授・伊賀流忍者博物館名誉館長

新しく日本橋にオープンした三重県のアンテナショップ、三重テラスで開催された忍者・忍術学講座。
場所も内容も気になるので、参加しました。
初めて訪れた三重テラスはモダンな建物の中にあり、隣にはイタリアンカフェも併設されています。

会場のスタッフは、全員忍者装束でビシッと決めていました。
普通ではない雰囲気に圧倒されながら着席します。
講師の先生二名はどちらも三重大学の教授ということで、本格的。
今回の講座は、伊賀市と三重大学と商工会議所がタッグを組んだ「三重大学伊賀連携フィールド」の活動の一環なのだそうです。

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開会の挨拶の時には、黒装束で身を固めた伊賀市市長も見えました。
ロングマントをたなびかせて、忍者というよりはダースベイダーのような格好でしたが、伊賀市長専用のコスチュームなんだとか。
「これを着てみたい方は、あと2年半後くらいに市長選があるので、その時に立候補してください」と冗談交じりに話されていました。

市長まで登場するほどの、かなり気合の入った、きちんとした講座だとわかり、ノリで申し込んだ私は申し訳ない気持ちになります。
まずは山田教授の講演。「忍者研究の最前線」というタイトルに引かれます。
先生も忍者の格好で現れました。
伊賀の国では、これがデフォルトなんでしょうか。

小さい頃から、アニメや絵本などを通してなじみ深い忍者ですが、その実態については謎だらけで、知らないことばかり。
だからこそ気になる存在です。

まず、忍者の全盛期である戦国時代には、「忍者」ではなく「隠形(おんぎょう)」や「忍び」と呼ばれていたのだそうです。
「忍びの者」が短縮された「忍者」という呼び方が定着したのは昭和30年頃からだとか。
ずいぶん最近のことです。

忍者をモチーフにした作品から、忍者にもつイメージは人それぞれ。
司馬遼太郎の『梟の城』、『忍者ハットリくん』、『科学忍者隊ガッチャマン』『NARUTO』などなど。
先生は「科学忍者隊ってなんでしょうね?」とさりげなく突っ込みを入れていました。まったくです。
さまざまなイメージがあるのは、もともとがなぞめいた存在だから。
だからこそ人の興味を引き続けるのでしょう。
実際、「忍者がきらい」という人にはこれまで会った事がありません。
なんだかんだで気になる存在です。

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それは日本人だけでなく、海外でもニンジャブームは相当なもの。
ニンジャはさまざまな映画に登場していますが、ただし主役に日本人は抜擢されないのだとか。
理由は「はやらないから」
ポスターを見ても、忍者なのは格好だけで、もはや別物のマーシャルアーツ作品となっているようです。
ゾンビvs忍者って・・・

忍者といったら手裏剣が武器ですが、実際には使っていなかったそうです。
これは結構ショック。イメージが・・・
いくつも持ち運ぶのは重くて大変だし、なかなか使いこなすのが大変なので、実用的ではないとのこと。
それを使えるからこそ、忍者だと思っていましたが~。
実際には、棒手裏剣やまきびしを使ったようですが、これは忍者専用の飛び道具ではなく、戦国武士も使ったとのことです。

また、忍者の衣装といったら黒装束。
真っ黒に統一されていますが、これは映画で絵的にインパクトを与える為に取り入れられた姿で、実際とはかけ離れていたそうです。
黒装束とか、手裏剣とか、忍者が忍者たるアイテムがどんどん否定されていき、目を白黒させながら聞いています。

手印を組んで、木の葉隠れでドロンと消える、というのも忍者の得意技ですが、そうした印を組んだり、まじないを唱えるのは、僧兵のいた大寺院で体系付けられたために、呪術的なんだとか。

もともと、役人をスパイとして敵国に数年前から潜入させ、さまざまな情報を探ってこさせる役を「間諜」や「斥候(ものみ)」といい、それが「しのび」になったのだそう。
中でも伊賀や甲賀出身者はその才に長けていたとのことで、「伊賀甲賀衆」というブランドで武将に高く取り立てられたのだそうです。

ちなみに、伊賀と甲賀同士の対立というのは、時代劇的に作られた設定で、実際には協力体制にあったそうです。

また、忍びの必須条件といったら「体力・スタミナがある人」だと連想しますが、兵法書にはそうは書かれていないそうです。
「口のよき人」、つまりコミュニケーション能力が高い人が向いているのだそう。
ピンチの事態を臨機応変にうまく切り抜けられるための知恵が、体力よりも必要ということですね。

日本の兵法書には、このように「しのび」についての記載がありましたが、近世に入って中国の兵法が導入されると、「しのび」や呪術的要素についての記載はなくなり、ほそぼそとしか伝承されないようになったというわけです。
江戸時代にも、歌舞伎や浮世絵などに取り入れられているしのびは、当時の人にとっても不思議な存在であったようです。

休憩を挟んで次は、川上教授の講義。
甲賀流忍術の伴家忍之伝を受け継ぐ甲賀流伴党21代目宗家で、ラスト・ニンジャといわれている方です。
歩き方や身の潜め方を実践的に教えて頂きました。

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「忍者や忍術と言うと荒唐無稽なイメージがあるが、実際にいたことは疑いがない」という先生。
それでもしっかりと知られていないのは、忍びの術儀は体伝や口伝で受け継がれることが多く、書物からでは習得できないからだそう。
学術的に体系付けるのは大変そうです。

この方は身体を鍛え抜かれており、石垣などを登る為に手を鍛えていました。
手を握るだけで音がしたり、手の指の小指だけ動かしたり。
(普通の人はできないと言われましたが、私はできました。ピアノでしょうか)

しのびは諜報がメインの仕事であり、毒殺などはほとんどしなかったそうです。
ヨーロッパと違って、日本人の真情に合わない殺し方だから。
日本人は、一対一で戦うのがしっくりくるようです。

曖昧模糊とした忍者の生態に科学的なメスをいれようとしている三重大学の忍者講座。
外国人の日本への印象を「フジヤマ・ハラキリ・ゲイシャ」から「和食・アニメ・忍者」に変えていきたいという試みが現実化する日がくればいいなと思います。
お二人の講義はとてもおもしろく、三重大学ではこんな授業が受けられるなんて、うらやましいばかり。
今度、じっくりしのびの里の伊賀上野を訪れてみたいと思いました。

→日記ブログ「体の内から忍者気分」
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