2015年03月21日

微笑みに込められた祈り 円空・木喰展

00083987.jpgat そごう美術館

副題「微笑みに込められた祈り」がぴったり。
2年前に東京国立博物館の「飛騨の円空」展を観て以来、仏像のイメージを超えた自由さにあふれる円空仏の魅力にはまっています。
今回は、木喰(もくじき)仏も一緒に観られるという、贅沢な展覧会。
会期終了前日とあって、会場内はけっこう混んでいましたが、周りと一緒に一体一体をじっくり見ていったので、「前がなかなか進まない」といったストレスは感じませんでした。

日本回国修行、つまり全国行脚しながら木の神仏像を彫り続けることを修行とした、円空(1632-1695)と木喰(1718-1810)。
日本中を巡り、木喰に至っては、沖縄以外の全都道府県を訪れたそうです。
この2人の作品の合同展覧会は、首都圏では初めてというのが意外。
2人とも江戸時代の人なので、一緒くたにとらえがちですが、円空の死後に木喰は生まれていました。


どちらも「初出展」の作品が数多くありました。→「出品目録」

まずは円空仏のコーナー。
岐阜出身の彼は30代から木像を彫りはじめ、12万体の像を彫るという心願を立てて、30年間作り続けたそうです。

現存する5386体のうち、今回は約90体が出品されています。
背の高い三体の「十一面観音菩薩」(1665〜7頃、三重県真教寺、青森県田舎館村、秋田県宗福寺)が出迎えてくれます。
小さな作品が主だと思っていたため、大きなものの登場に一層の迫力を感じました。
顔つきは柔らかいアルカイックスマイルを浮かべています。
背面には彫刻は施されておらず、木材のまま。
横から見るととても薄いものでした。

円空は、素材である木に必要以上の手は加えずに、神仏を彫りあげることを信条としているのかと思います。

背面にも手が施されたものもあります。
「薬師如来/阿弥陀如来」(1674頃、三重県明福寺)は、どちらの面にも二つの如来が彫られているもの。
両面仏は、初めて見ました。まさに「一粒で二度おいしい」状態。
薬師如来は現世利益、阿弥陀如来は来世往生を司るため、人は両方に祈りをささげたのでしょう。

美術館なので、展示室の中央に設置したものを人は周りこんで交互に眺めることができますが、お寺では置き方を考えてしまいそう。
仏像を横向きにするのもおかしな話ですしね。

また、「阿弥陀如来・観音菩薩」(1677頃、岐阜県弥勒寺)は、観音菩薩の本体に阿弥陀如来の印相を持たせた一像多機能の特性を持つもので、一体で二つの仏を現しているものでした。
円空が住職を務めた弥勒寺(岐阜県関市)の所蔵です。

顔の半分を削り落とされた観音菩薩もあり、(経年劣化の剥離かな)と思いましたが、廃仏毀釈の混乱時になされたものだそうです。
確かに、鋭利な刃物で、顔半分が削られており、痛々しそうでした。

古木のギザギザを火炎に見立てた「不動明王」も気に入りました。もはや言わないと分からないようなデフォルトされたシンプルデザイン。モダンささえ感じます。

宇賀神も何体かありました。宇賀神を知らない人には、いったい何か不明だろう彼の作品が好きです。
今回の出品物も、いい感じに謎めいていました。

直観的な作品ながらも、技巧的な芸術性もあります。
「釈迦如来」(天徳寺)のドレープの流れる美しさに目を引かれました。

また「観音菩薩」(1682以降、一宮市博物館)には、その仕草から「みかんむいたよ」とキャプションをつけたくなりました。

日本民藝館(東京都目黒区)の所蔵品が多くあることに気が付きます。
行ったことがありませんでしたが、円空仏を多く有しているよう。
今度拝観しようと思います。

B9ShvADCcAEPAJ7 - コピー.jpg


次に木喰仏コーナー(上画像左側)。
彼は、56歳から日本行脚を始め、61歳から木像制作をはじめたという遅いスタート。
その後、93歳で亡くなるまで2000体ほどの像を作成しました。
現存するのは約720体で、今回は約80体が出品されています。
ノミの荒削りな作品を見続けてきた目には、一層丸くなめらかにうつります。

彼の作品に「自身像」が多いことに気づきました。
福の神のような福々しい微笑みを浮かべた、長いひげの仙人のような姿。
「秩父三十四所観音菩薩」の中央に置かれた「自身像」は、顔がのっぺらになっています。
顔の部分が摩耗して、つるつるになっているのは、寺の近所の子どもたちが持ち出して、ソリとして遊んでいたためだそう。
たしかに、彼らが造り上げる木像は、お寺のご本尊とは別のもの。
木喰仏は人々が手にとれる、親しみ深いものだったのでしょう。

木喰仏は、ふさふさと豊かな髪の毛が特徴的。
観音は、そのほとんどが長い髪を後ろにたらし、しかも黒く彩色されているため、女性らしさが加味されています。
時々、くるくるした巻き毛の仏像もありました。
「釈迦如来」(1801、京都市個人蔵)など、(バッハみたい)と思います。
関係ありませんが、おりしもこの日は、バッハの誕生日だと後で知りました。

「十二神将」(1805、新潟県西光寺)は、外を向いてぐるりと円を作っている小さい神様に、どこかかわいらしさとユーモラスさを感じ、白雪姫のドワーフのようだと思いました。
全てを6日で完成させたというので、1日2体を作り上げたことになります。
この完成度の高いものを、そんなに早く作れるものなんでしょうか?驚きました。

木喰仏の裏側には、墨で文字が書かれていることが多く、研究者の大きな助けになっているだろうと思います。
「大工加勢」と書かれたものもあり、作品は、すべて彼一人で作ったわけではなく、大工の協力もあったと分かりました。
それで、スピーディな完成が可能となるわけですね。
とはいえ、荒削りな部分のみで、細かいところは本人が手がけたのでしょう。

木喰の死後、その作品について長い間忘れ去られており、民芸運動推進者の柳宗悦が大正期に再発見したそうです。
彼のおかげで木喰仏の調査がなされ、芸術的価値が認められたという点に、意外な接点を感じました。

ちなみに、木喰とは、名前になっていますが、火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行(穀断ち)を続ける僧のことを指します。彼も、穀物や火を通したものを食べないという木食行を生涯続けていたそうです。
彼の死は、はっきりと確認されておらず、つまりは行き倒れでの死だったと思われます。
苦しい修業をしながらも、憂いのない微笑みの木仏を作り上げるというすごさ。
これぞ聖人の域だと思います。

大きな作品はガラスケースに覆われていない作品が多く、手を伸ばせば触れる近さから鑑賞できます。
頭や顔だけがつや光りしているものもあり、奉納されてからずっと人々に撫でられてきたのだろうと想像できます。

優しい微笑みを浮かべる作品群を見ていると、こちらも心穏やかになってきます。
プロの彫刻家が手がける作品の方が完成度が高いかもしれませんが、僧侶の作った彫像は、内に込められた祈りと情熱が伝わってきて、胸に迫るものがあります。
自分の寺に留まらず、一生を旅にささげた流浪の僧侶の身では、つらいことも多々多かったと思いますが、残された作品はどれも魂が宿っているような神々しさを感じさせるものばかり。
彼らの祈りが、一体一体の神仏に宿っているのだと思います。

2時間ほどかけてじっくり鑑賞しました。
木の強さと温かさを存分に堪能でき、とても見がいがある展覧会でした。

これだけ生き生きとした木仏を見た後では、自分も彫りたくなってくるものです。
ミュージアムショップに『円空仏を彫る』という本があり、鑑賞直後なので気持ちが上がって、かなりその気になりましたが、残念ながら自分には才能がないことを思い出し、ぱらぱらめくって見るにとどめました。
posted by リカ at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【finearts】書・版画・彫刻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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