2020年01月08日

ミュシャ展〜運命の女たち

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そごう美術館

アール・ヌーボーを代表する画家・アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)。
日本人は印象派が大好きですが、ミュシャもかなり人気が高いですね。
これまで、何度となく展覧会が開催され、かなり足しげく観に行っています。

今回の展覧会の特徴は、ミュシャ生家の近くに住むチマル博士の3代にわたるミュシャ・コレクションから、ポスター、装飾パネル、油彩画、素描、水彩画など約150点が出品されている点。
日本初のチマル・コレクションのみのミュシャ展となり、従来とは異なる視点で構成されています。

今回のテーマは「運命の女たち」。
ミュシャの人生上の女性たちに焦点を当てて、華やかな女性像を得意とする彼の作品を紹介しています。
個人的には、彼の作品で一番好きな『イヴァンチッツェの思い出』〈1903〉のモデルとなっている、初恋の人ユリンカが気になっています。

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《イヴァンチッツェの思い出》1909年 * 今回未展示

展示されているのは現チェコ共和国で暮らした十代の頃から、ドイツでの修業時代を経てパリで名声を博し、アメリカに渡り、祖国に捧げた晩年までの作品。
学生時に描いた女友達のデッサンは、初めて展示されるもの。小作品ですがとても上手です。

ミュシャ初恋の人ユリンカの本名は、ユリエ・フィアロヴァー。
早逝してしまいましたが、彼女の面影は、ミュシャの描く女性像の多くに投影されています。

今回展示されていた作品は、私が好きなものと少し異なっていました。
構図も絵柄もそっくりですが、簡略されたデッサンのよう。
こちらは習作なのでしょう。

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《イヴァンチッツェの思い出》1903年

それから彼のメジャーデビューのきっかけとなった、大女優サラ・ベルナールを手掛けたポスターの数々。
サラの演じる『ジスモンダ』のポスター依頼が工房に入った時はちょうどクリスマス期でみんな休暇中でした。
そこで、ひとり残っていたミュシャが慣れないポスターを手掛けることになりましたが、それをサラが一発で気に入り、彼と契約を結んだという、ラッキーなエピソード。

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左:《椿姫》1896年   右:《ジスモンダ》1894年

27歳でミュンヘンからパリへ移った彼は、流れるような髪と衣装をまとった美女たちの絵を次々と描いていき、ベル・エポック時代を彩るアールヌーポーの旗手となりました。
ここから先は、よく見慣れた作品が続きます。
「モエ・エ・シャンドン」のメニュー表のデザインも手掛けていました。
ゴージャス感がぴったり。

パリでは人々の人気を一身に集め、キラキラした世界で過ごしていたのだろうと想像しますが、実際にはそういうわけでもなく、画塾でデッサン講座の先生をしていたとのこと。
彼のデッサンは、確かにとても的確な表現がなされたものでした。

「サヴォン・ミュシャ」という石鹸が展示されていました。
商品ブランド名に画家の名前が付いたのは初めてだそう。
ミュシャの人気が伺い知れます。

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《黄道十二宮 ラ・プリュム誌のカレンダー》(部分)1896年

華やかな女性を通して商品のイメージや夢を売った彼は、経済成長に沸くアメリカでも大歓迎されました。
アメリカの大富豪の娘の肖像画を描くなどをして、多額の資金援助を受けた彼は、人生後半のライフワークとして、スラヴ民族の歴史を描いた20点の大作《スラヴ叙事詩》に着手します。

当時のスラブはオーストリア・ハンガリー帝国下にあり、母国にいてもドイツ語を話さねばなりませんでした。
1908年にボストンで演奏されたスメタナの「わが祖国」を聴いたことがきっかけで、母国愛を刺激され、制作意欲が湧いた彼は、絵を通じて祖国の人々に母国の誇りを失わぬよう、呼びかけたのです。
展示されていたミュシャ本人の写真はどれも、スラブの民族衣装姿。
実の娘や友人の娘に民族衣装を着せて、絵のモデルにすることもありました。

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アルフォンス・ミュシャ

過去に開催されたミュシャ展は、華やかで美しい作品の数々をメインに構成されていましたが、今回の展覧会は、ミュシャという画家の人生や、モデルとなった女性たちについて、丁寧に紹介されていました。
ついついロマンチックで流麗な彼の作品の方に目を奪われがちですが、今回はその背景にある画家本人とその人生について、詳しく知ることができました。

『ミュシャ展~運命の女たち~』
会期 2019年11月23日~12月25日
会場 そごう美術館

posted by リカ at 15:30| Comment(0) | 【finearts】西洋画 | 更新情報をチェックする
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