2019年09月20日

初めて絵画に「カワイイ」の概念を加えた画家~「円山応挙から近代京都画壇へ」

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■ 円山応挙とは


東京芸大美術館で開催中の展覧会。
前期と後期の二期構成ですが、前期(8月3日 - 9月1日)は、猛暑に負けて、上野までたどりつけませんでした。
後期になり、少し暑さが和らいできた日に訪れました。

18世紀の江戸時代中期から後期にかけて京都で活躍した絵師、円山応挙(1733-1795)。
写生的画法に宋・元画の技法と西洋画の遠近法を取り入れ、円山派の祖とされています。

自然や花鳥、動物を生き生きと描いた応挙の画風は、狩野派のように堅苦しく難しい解釈を必要とせずに単純に目で見て楽しめる斬新なもので、京都で評判となりました。

■ 四条派って?

円山応挙の画風の流れを引いた「円山派」は理解できても、「四条派」についてはわかりません。
何だろうと思いながら会場に足を運ぶと、わかりやすいパネル解説がありました。
私のような(よくわからないけれど来てみた)という人が多いのかもしれません。

「四条派」の祖は呉春(1752-1811)。
与謝蕪村に学び、蕪村没後に応挙の画風を学んだ彼は、応挙の写生画に蕪村の瀟洒さを加え、南画と写生画とを融合させた情趣豊かな作風を確立しました。
彼が住んでいた通りの名を取って「四条派」と呼ばれるようになったそうです。

■ 円山・四条派

明治維新以降、京都画壇の主流派となったのは、「円山派」と「四条派」を融合した「円山・四条派」。
応挙・呉春を元とする円山・四条派の流れに、近代京都画壇をリードしてきた竹内栖鳳、山元春挙、今尾景年、上村松園たちも組しています。
この展覧会は、応挙、呉春から始まった円山・四条派の流れを通じて、京都画壇についての理解を深めるものとなっています。

■ すべては応挙にはじまる。

○ 重要文化財 円山応挙《写生図巻(甲巻)》

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重要文化財 円山応挙《写生図巻(甲巻)》(部分)
明和8年~安永元年(1771-72)株式会社 千總蔵

写真などまだない時代の、彼の精密な写生画は、当時の人々をたいそう驚かせたことでしょう。

モフモフのかわいらしいウサギ!
いまにも動き出しそうで、さわると暖かそうです。
彼が描いたサルもイノシシも、フワフワの触りたくなるような毛並をしていました。

■ 孔雀、虎、犬。命を描く。

○ 重要文化財 円山応挙《松に孔雀図》


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 重要文化財 円山応挙《松に孔雀図》寛政7年(1795) 兵庫・大乗寺蔵


応挙の最高傑作の一つとされている、今回の展覧会の目玉作品。
彼は息子や門人たちとともに兵庫県・大乗寺の襖絵群を制作しました。
今回は、応挙が最晩年に描いた《松に孔雀図》 が展示されています。

金地に墨一色で描かれた孔雀の豪奢な品の良さ、そして微に入り細に入る細かさ。
うーーん、本当に墨だけで描いたのでしょうか?

なんだかカラー色が見えるのは、目がおかしいんでしょうか?
たとえば松は緑に、孔雀は青く見えますが、それって私だけ?
黒一色とは思えない豊かな風合い、そして奥行きさえも感じます。
すばらしい襖絵です。

実際の大乗寺の部屋を再現した、十字型の配置となっています。
本当にお寺の一室にいるような気分で、表から裏から、じっくりと鑑賞できます。

・後ほど調べたところ、応挙は光の反射具合で青みを帯びる「松煙墨」を用いてこの作品を描いているとのことでした。
よかった、色盲じゃなかったみたい。

○ 円山応挙《狗子図》

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円山応挙《狗子図》安永7年(1778) 敦賀市立博物館蔵

私にとっての応挙とは、とってもかわいい犬を描く絵師というイメージ。
犬好きだった応挙は、キュートな犬の絵を何十枚も残して「絵画に“カワイイ”を持ち込んだ絵師」とされています。
う~ん、すごい功労者!
応挙が描いたわんこたちの、コロコロとした愛らしさ。フカフカな感触も伝わってくるようです。

■ 山、川、滝。自然を写す。

○ 重要文化財 円山応挙《保津川図》

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 重要文化財 円山応挙《保津川図》寛政7年(1795)株式会社 千總蔵


現代において、絵画で見たものを見たままに描くことは当たり前のこと。
学校でも写生の時間があり、まったく珍しいことではありません。
ただ、漢画ややまと絵が台頭していた時代は、見たことのない中国の仙人や風景や、何百年も前の平安貴族の物語などを描くのが絵画の常識だったことを、まずは認識しておかなくてはなりません。

今の私たちが「保津川図屏風」を鑑賞しても、特に引っ掛かりは感じませんが、制作時には、自然をこのようにのびのびと描いた絵画は非常に珍しかったということです。

この作品はとことん写実性に徹した描き方ではなく、琳派や狩野派、やまと絵といった日本の王道の画風に、新たに写生を取り込んだため、当時の人々にもさほど抵抗なく受け入れられていきました。

濁った急流部分では自然の荒々しさを描き、穏やかな流れの部分では、鮎が泳ぐ水清らかな川の表情の豊かさを表現しています。

ちなみに、所蔵元の千總とは、京友禅着物の老舗呉服会社。
今回は、多数の作品の展示に協力してくれています。

応挙の保津川図のそばに、その約100年後に描いた竹内栖鳳の保津川図も展示されていました。

■ 美人、仙人、物語を紡ぐ。

○ 上村松園《楚蓮香之図》

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 上村松園《楚蓮香之図》大正13年頃(c.1924)京都国立近代美術館蔵


美人画に、浮世絵の技法を取り入れたことで知られる上村松園。
唐美人には、応挙の影響が見られるといわれます。
応挙の美人画は、あまりピンときませんが、幽霊を描いているので、美人も描いたことでしょう。(!?)
展示されている彼の美人画と、この松園の作品は、かなり似た雰囲気を醸し出していました。


■ まとめ

見るだけで楽しめる、わかりやすい応挙の絵。
今回はフォーカスされませんでしたが、彼は「足のない幽霊画」を初めて描いた人物だとも言われています。
そして、応挙の画風に、蕪村の瀟洒さを融合させた呉春。

京都で人気を博した二人の画家の絵画の流れが円山・四条派として、100年以上の長い間、京都画壇の主流となっていったというところに、山中の一滴が次第に広がって川となり、大海へと流れ込んでいくような壮大なイメージを感じました。

東京開催の後には、本拠地・京都の国立近代美術館で、重要文化財12件を含む124点が一挙公開される予定でます。
円山応挙から近代京都画壇へ
東京藝術大学大学美術館
会期 後期:2019年9月3日(火) - 9月29日(日)


巡回:京都国立近代美術館
2019年11月2日(土) - 12月15日(日)
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2019年08月09日

名実ともにクールジャパン~令和元年記念 北斎展[HOKUSAI]

葛飾北斎〈1760-1849年)は、1999年に米ライフ誌が発表した「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人で唯一選ばれた人。それだけ世界で評価されている芸術家です。

北斎作品は版画なので、リ・クリエイト(複製画)にせずともオリジナルがあるのに…と思いましたが、今回は、最新のデジタル・リマスタリング技術で180年前の色彩を再現したものが展示されており、『冨嶽三十六景』や『富嶽百景』の全作品を北斎の時代に見られた色合いでまとめて鑑賞できる機会となっています。
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以前開催された、フェルメールのリ・クリエイト作品展の時と同様、館内は撮影ができます。

■ 『冨嶽三十六景』とは


富士山を日本全国のさまざまな場所から描いた『冨嶽三十六景』は1831年(天保2年)頃から制作されました。発表当時、北斎は72歳。
遠近法が活用されていることや、当時流行していた高価な顔料「ベロ藍」(プルシャンブルー)を用いて摺られたことなどが特色的です。

当時の浮世絵は役者絵や美人画が人気でしたが、このシリーズが大人気となったため、当時「名所絵」と呼ばれた風景画も浮世絵の一ジャンルとして確立したと言われています。

『冨嶽三十六景』は、当初の予定の36図を「表富士」、追加版の10図を「裏富士」と呼んで区別しています。
表富士は輪郭線にベロ藍を、裏富士は墨を使っているのが相違点です。

タイトルのごとく、必ず絵のどこかに富士山が登場しており、あわせて市井の人々の暮らしぶりが生き生きと描写されているのが、親しみが持てる点ですね。

■ 『富嶽百景』とは


『富嶽百景』は、『冨嶽三十六景』の数年後となる天保5年(1834年)から刊行された、富士山尽くしの三冊の本。今回はこの両方のシリーズがそろい踏みとなり、北斎の描く富士山を、あますところなく鑑賞できる場となっています。
ちなみに同名の太宰治の短編小説もありますが、北斎シリーズは登場せず、内容に特に関係はありません。

『冨嶽三十六景』と『富嶽百景』だと、単純計算から合わせて136枚かと思われますが、当初36図の予定で刊行を始めた『冨嶽三十六景』が、予想をはるかに超える大反響を得たため、10図が追加出版されて全46図のシリーズとなりました。
『冨嶽三十六景』は実質46図、『富嶽百景』は実質102図となったため、今回はその合計となる148枚が展示されています。

■ 作品について


● 冨嶽三十六景 深川万年橋下
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大胆かつスッキリとした構図。
かつて、深川を流れる小名木川に架かる橋はいずれも船の航行のために橋脚を高くしており、中でも萬年橋のアーチ型は特に大きく高かったそうです。
歌川広重も『名所江戸百景』の中で「深川萬年橋」を取り上げています。

● 冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏
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2024年度に発行される新千円紙幣裏面に、この神奈川沖浪裏が印刷されることを考えても、この絵が日本を代表する作品だということは誰しもが認めるところでしょう。

● 冨嶽三十六景_江都駿河町三井見世略
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「現金掛け値無し」と書かれた三井越後屋(日本橋三越の前身)の看板。
通りをはさんで建つ越後屋の間から見える富士山。屋根の上で軽快に作業をする職人。
構図のバランスがいい一枚です。

● 冨嶽三十六景_凱風快晴
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おそらく浮世絵の富士山として一番有名な作品。「赤富士」と呼ばれます。
季節は夏。鱗雲が浮かぶ快晴の空を背景に立つ、赤い山肌の富士。
「神奈川沖浪裏」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれます。

● 冨嶽三十六景_山下白雨
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「黒富士」と呼ばれる一枚。こちらも季節は夏。
積乱雲がたち、上の方は天気ですが、裾野は黒く、下界には稲妻が光っています。
静的な赤富士とは対照的な動的な作品。

● 冨嶽三十六景 甲州三坂水面
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富士山が静かな湖の水鏡に映っていますが、よく見ると湖面の富士山には雪がかぶっています。
1枚で夏と冬の富士山を表現したものです。

■ 浮世絵の制作過程

会場内では、浮世絵版画の道具が展示されて、浮世絵の制作過程が解説されています。
薄い色から一つ一つ重ねていく独特の工程が、子供にもわかりやすく、段階を追って絵で説明されていました。

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右から左に、一色ずつ加えていきます

夏休み期間のデパート内の美術館ということもあり、会場はとても混んでいました。
北斎は、老若男女に人気ですね。

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そごう入口にて、北斎の波に乗るおかいものクマ

新しい日本国パスポートのデザインに選ばれた「冨嶽三十六景」。
シリーズの中から、24作品も採用されるそうです。
いいですね!ちょうど今パスポート更新中の私は、それを聞いて大喜びしましたが、ニューデザインになるのは来年春からだと知って、がっくり…

海外の印象派の画家に影響を与え、時を超えてもなお、名実ともにクールジャパンの代表として輝き続ける北斎の名作の数々を、鮮やかな色彩で一堂に鑑賞できるいい機会です。

令和元年記念 北斎展[HOKUSAI]
2019年7月27日(土)~9月1日(日)
そごう美術館
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2019年08月08日

洋画の松方幸次郎、和美術の原三渓~「生誕150・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」

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■ 原三溪という人


近代日本美術、茶の湯の世界で知られ、膨大なコレクションでもその名を轟かせている原三溪 [慶応4(1868)– 昭和14(1939)
]。
彼のことは知らなくても、横浜・本牧にある広大な庭園、三渓園のことは、市民ならだれでも知っています。
それは、三溪の自邸でした。

本名は、岐阜県出身の青木豊太郎。上京して早稲田大を出たのちに、横浜の原善三郎の孫娘と結婚し、原家の家業を継ぎました。
原家は、当時横浜で主要貿易品だった生糸商の有力5家のひとつ。
名前からわかる通り、長男ながら、婿入りしたんですね。
才能を買われて跡継ぎとなったのは、福沢諭吉のようです。

彼は、期待されたとおり、明治・大正・昭和初期にかけて、横浜の大生糸商として活躍しました。
婿養子とはいえ、実家も岐阜の名家の出身で、南画家だった祖父や叔父が、彼の美術嗜好に大きな影響を与えたとされています。
つまり彼は、剛腕実業家でありながら、アーティストの血筋を持ち、多くの芸術家と交流した茶人であり、若い芸術家をサポートし、生涯で5千点もの品を収集した書画骨董コレクターとして知られた希代の数寄者でした。

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原三渓(三渓園所蔵)

この展覧会では、彼が生前収集した美術品を通して「コレクター三溪」「茶人三溪」「アーティスト三溪」「パトロン三溪」という4つの側面から原三溪という人を紹介しています。
国宝や重要文化財といった名品約25点を含む美術品や茶道具約150点が展示されています。

■ 第1章 岐阜の富太郎

彼がまだ青木少年だった、岐阜時代の作品が展示されていました。
叔父の高橋抗水の絵も展示されています。
蓮を愛したという彼は、数多くの蓮の絵を描いていますが、幼少の頃より叔父や祖父の薫陶を受け、南画風の水墨画も残していました。

● 原富太郎(晴處) 乱牛図 明治17年
山々や木陰に憩う無数の牛が墨で描かれたもの。
16歳の時の絵ですが、彼の非凡な画才がすでに見られます。

■ 第2章 「コレクター三溪」

彼は、生涯で5千点もの品を収集した古美術コレクターでした。

● 国宝《孔雀明王像》 
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国宝《孔雀明王像》 平安時代後期(12世紀)東京国立博物館

明治36年に当時35歳の三溪が、元大蔵大臣井上馨から破格の1万円で購入したもの。
購入当時の1万円は、現代の貨幣にして1億円くらいだそうです。
当時、掛け軸に「万」の値が付いたことがなかったため、新聞にも掲載されて大きなニュースになり、彼の名が世に広まったそうです。

孔雀明王は、毒蛇を食べる孔雀を神格化した像。
4本の手にザクロ、孔雀の羽根、蓮華、倶縁果またはレモンのような果実といった呪術的意味があるモチーフをもち、その描線はふくよかで精緻美麗。
平安後期の仏画を代表する傑作で、国宝に指定されました。
※展示期間は7月13日~8月7日。

● 重文《伝源頼朝坐像》
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重文《伝源頼朝坐像》鎌倉時代 東京国立博物館

鎌倉の鶴岡八幡宮の白旗神社(御祭神:源頼朝)に安置されていたものと伝えられる像。
烏帽子をかぶった狩装束姿で、両脚を倒してあぐらのような座り方をしています。
鶴岡八幡宮から三渓園、そして現在では東京国立博物館に所管が渡っています。

● 重文《伝雪舟等楊 四季山水図巻》

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重文《伝雪舟等楊 四季山水図巻》室町時代 京都国立博物館

三渓が死ぬ2日前まで眺めていたという雪舟の絵。
雪舟作品といえば、縦長掛け軸の水墨画というイメージを持っていたため、横広がりの巻物が新鮮でした。

宮本武蔵による布袋図2点、《眠り布袋図》(江戸時代初期、刀剣博物館所蔵)と『布袋見闘鶏図』(福岡市美術館所蔵)が展示されていました。
どちらも武蔵のイメージのような鋭さは皆無の、丸みを帯びた柔らかいタッチの作品でした。

■ 第3章 「茶人三溪」

彼は、多くの数寄者と交流した茶人でした。
近代に入り、多くの財界人や実業家、政府高官などが豊かな財力をもって茶道をたしなむ茶人となりました。
三溪はその代表的な人物のひとり。先輩には《孔雀明王像》を購入した井上馨や、20歳ほど年上の、三井財閥を成した旧三井物産の社長・益田鈍翁(どんのう)がおり、密に交流を行っていました。

三渓も20代から茶道を嗜み、茶会を70回ほど行っています。
三渓園にも、彼が茶会を行った茶室が保存されています。
伝統的作法にとらわれず、新たな手法で茶会を催した彼は、初めて仏教美術を茶の湯に取り入れた人だそう。
三渓園で伎楽の舞を催したこともあるらしく、奈良時代の伎楽面(文化庁所蔵)もありました。

● 源実朝《日課観音》
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源実朝《日課観音》 鎌倉時代

源実朝(1192~1219)は、鶴岡八幡宮で甥の公暁に暗殺された、鎌倉幕府第3代将軍です。
仏道に励み、日課で白衣観音様を描く事を日課としていました。

昭和12年に三渓の長男善一郎が急逝し、その一週間後に追悼の茶事が開かれた際、床の間に掛けられた軸が、この日課観音だったとのことです。
志半ばにして早すぎる死を迎えた悲劇の将軍と息子の死を重ねた、彼の深い悲しみが伝わってきます。

■ 第4章 「アーティスト三溪」


彼は美術史に沿ってコレクションを集め、まとめようという壮大な計画を立て、着々と進めていきました。
そのため、個人的な好みに限定されない、広いジャンルのものを集めていきます。
江戸時代美術では狩野派、琳派、円山・四条派、文人画というようにコレクションに幅の広さを持たせました。
三溪が執筆し、刊行を予定していた所蔵名品選『三溪帖』はまさに銘品揃いでしたが、その出版直前に関東大震災が起きてしまいます。
そのため、美術史コレクションを完成させるという彼の夢が叶うことはありませんでした。

しかし、この展覧会には『三溪帖』の草稿を元にした作品が展示されており、三溪本人も一度に見ることができなかった作品の数々を鑑賞できるようになっています。

震災以降、芸術家の庇護よりも横浜の復興に重きを置くようになった三渓。
町の再建という現実的な道を優先します。
美術支援を自粛したことが、自分が絵筆をとって描くようになったきっかけにもなりました。

忙しく事業に従事する傍ら、気晴らしがてら描いた自らの書画を親しい友人に贈呈することが彼の楽しみだったそうです。

● 原三溪《白蓮》
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原三溪《白蓮》昭和6(1931)年

彼が絹地に描いた花々は、どの作品も、着物の柄にもなりそうな優美さにあふれています。
この作品は画家の小林古径に贈られたもの。

蓮は三溪が最も多く描いた画題で、茶席のテーマにもたびたび用いられました。
三渓園にも、たくさんの蓮の花が咲いています。

三溪の数多くの蓮作品に、睡蓮の作品を数多く残したモネを連想しました。
2人の「睡蓮と蓮展」などが企画されたら、面白そうです。

■ 第5章 「パトロン三溪」

最後の章では、彼が支援した同時代の日本美術院の画家たちの作品が見られます。
彼は三溪園に回遊式日本庭園を造り、古建築を移築して復元し、そこに作家を招いて支援活動を行いました。

 下村観山 《大原御幸》 明治41年 東京国立近代美術館
 今村紫紅 《近江八景》 大正元年 東京国立博物館
 横山大観 《柳蔭》 大正2年 東京国立博物館
 安田靫彦 《五合庵の春》 大正9年 東京国立博物館

■ まとめ

さまざまな面から、文化人三渓の全体像を知ることができるこの展覧会。
近代日本美術を支えるそうそうたる作家たちによる作品の数々は、現在では異なる所管先のものも多いですが、所蔵先はどれも大きな美術館ばかり。そこからも銘品であることがわかります。

とても渋い作品群のため、夏休みなのに会場内には子供の姿が見えません。
それでも開館10時から来館者で会場内は大盛況。
皆さん、一つ一つの作品の解説をじっくり読んでいかれるため、かなり時間をかけての鑑賞となりました。

先日観た、上野西洋美術館での『松方コレクション』は洋画を主にしたものでしたが、今回の『三溪コレクション』は和美術を主にしたもの。
対照的な二つの展覧会が、この夏東京と横浜で開催されています。
松方幸次郎と原三渓といった稀代の芸術支援者により、日本近代芸術の底上げがなされていったといえるでしょう。

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