2019年10月24日

永遠の少女といったらやはり…「不思議の国のアリス展」

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横浜そごうの美術館で開催中のアリス展。

2010年にも、日本橋三越本店でアリス展が開催され、観に行きました。
アリスは時代を問わず、人気があるんですね。
今回は、ルイス・キャロルの原作を元に、ルイスの自筆スケッチや挿絵画家の作品、そしてアリスをモチーフにした古今東西のさまざまなアーティストの作品約200点が展示される、日本初の大規模なアリスの展覧会となっています。

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ルイス・キャロル(チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン  1832-1898

ルイス・キャロルの本名はCharles Dodgson。
これまで読んだ本には、チャールズ・ドジソンと書かれていましたが、いつの間にかドッドソンという呼び名の方がメジャーになっていたんですね。

第1章 始まりの話 ― アリス誕生

物語と一緒によく知られている挿絵は、本人が描いたものと思っていましたが、違いました。
挿絵画家のジョン・テニエルによるものでした。
(2010年に書いた展覧会レビューを読み返してみたら、同じ感想を書いていました。すっかり忘れていたようです。ああ学習能力がなさすぎ!)

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ルイス・キャロル『地下の国のアリス』挿絵

ルイス本人は挿絵も描く気満々でしたが、美術評論家のジョン・ラスキンが反対したそうです。
テニエルの挿絵は、本人の絵よりも上手でした。やはりプロは違いますね。

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ジョン・テニエル『不思議の国のアリス』挿絵のための下絵

展示された挿絵の下絵は、すべて繊細なタッチの鉛筆画でした。
所蔵元はフィラデルフィア。
本国イギリスではなく、アメリカでコレクションされています。
ほかにも、今回の展示品はNY公立図書館の所蔵品が多いと感じました。
国内からは、聖徳大学の所蔵品が多かったです。
児童学科がある大学なので、児童文学研究も進んでいるのでしょう。

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チャールズ・ラトウィッジ・ドッドソン撮影
《アリス・リデルの肖像(複製)》(1858年)

詳しい年表が掲示されていました。
ルイスは1832年生まれ。180年以上前の人なんですね。
オックスフォード大学の数学講師となりながら、図書館司書補としても働いていたそうです。

彼が働きだした頃に、オスカー・ワイルドが誕生。
ルイスとワイルドは22歳離れており、アリスのモデルとなったアリス・リデルは、オスカー・ワイルドの2歳上でした。

第2章 アリスの物語 ― 不思議の国への招待

展示されているのは、次に紹介する、現在活躍中の7人のアーティストが手掛けたアリスの物語。
 ・チャールズ・サントーレ
 ・ヘレン・オクセンバリー
 ・ロバート・イングペン
 ・ラルフ・ステッドマン
 ・ジョン・ヴァーノン・ロード
 ・バリー・モーザー
 ・アンヘル・ドミンゲス
一人ひとり個性的なアリスの世界が展開されます。
第2章は、全面的に撮影OKです。

第3章 アートの国 ― 世界が愛する永遠のアリス

映画・アニメ・舞台のアリスについて。
『不思議の国のアリス』の初めての長編映画は1933年作で、『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』のストーリーが盛り込まれたものでした。
名優ゲイリー・クーパーが白の騎士を演じたそうです。
一番メジャーなディズニーアニメは、それから20年近く後になってからの、1951年の作品でした。

そして、アリスを描いた古今東西のさまざまなアーティストの作品コーナーとなります。
アーサー・ラッカムが描くアリスは、原作の持つはちゃめちゃ感やドタバタのない、静かで古典的な世界。

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エリック・カール 『チェシャネコいもむし』 2018年

「はらぺこあおむし」の作者エリック・カールの、はらぺこあおむしをもじった「チェシャネコいもむし」という絵がありました。
チェシャネコがいもむしになるというメタモルフォーゼ。
去年仕上げたばかりの、新しい作品です。

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マリー・ローランサン『不思議の国のアリス』挿絵

マリー・ローランサンも、アリスの絵本を描いていました。聖徳大学所蔵。
黒髪のアリスだからか、どことなくオリエンタル感あふれる、東洋の少女のように見えます。

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サルバドール・ダリ『うさぎの穴に転がる(Down the Rabbit Hole)』

シュルレアリスムの代表的アーティストであるダリも、アリスを描いていました。
会場には、サイン入り扉絵が展示されています。
なぜか、どの挿絵のアリスも、縄跳びをしていました。
迫りくる圧巻の色彩と疾走感。う~ん、シュールです。

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山本容子 《Hop, Step, Hop, Step》 2007年

山本容子、草間弥生といった日本を代表する個性派女流芸術家の作品もありました。
草間風といえば黒いドット。とうとうアリスの顔までドット柄になっていました。

終盤には、「ミミクリーの小部屋」という、たくさんのアリスに登場する挿絵が飾られた部屋がありました。
その前に立って手を振ると、絵に描かれた人物たちがめいめいに手を振りかえしてくれます。
なんとも不思議な体験ができました。

子供のころから見慣れているアリスの物語ですが、今回、さまざまな表現によるアリス作品を観ながら、引っ掛かりを感じました。
思えばアリスは小さな少女。お茶会に参加して紅茶を飲むには、早すぎる年齢なんですね。

あのお茶会は、参加メンバーのキャラが濃すぎるため、一見おままごとのように見えますが、きちんとしたアフタヌーンティーセレモニーの流れに厳格に則っているという運びで話が進んでいきます。
そうしたところに、シュールさと違和感が生じているのだと、気が付きました。

発表から150年たった今もなお、世界中の人々に愛され、多くのアーティストがモチーフに採り上げ続ける『不思議の国のアリス』。
子どもも大人も引き込まれる、その魅力は尽きません。
今回は、館内で「リアル脱出ゲーム」とコラボしたイベントも同時開催されており、3連休の最終日だったこの日、大勢の人たちが熱心に挑戦していました。

2019年9月21日(土)~11月17日(日)
そごう美術館

そののちは、以下の場所で開催されます。

福岡 2019年12月3日(火)-2020年1月19日(日) NEW福岡市美術館
静岡 2020年2月1日(土)-3月29日(日) 静岡市美術館
名古屋 2020年4月18日(土)-6月14日(日) ※会場は後日発表
新潟 2020年6月27日(土)-9月6日(日) 新潟市新津美術館
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2019年09月24日

夢のような優美さと写実性~「マイセン動物園展」

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■ マイセンとは


ヨーロッパで初めて硬質磁器製造に成功し、300年前の1710年に王室磁器製作所を設立した、ドイツの名窯、マイセン磁器製作所とその作品を指します。名前はマイセン地方の地名から。
中国の磁器や日本の伊万里といった、東洋の磁器に魅せられたザクセン公国アウグスト強王に、白磁を作るように命じられた錬金術師が、製造に成功しました。
それ以来今日まで、ヨーロッパ最高の硬質磁器として知られています。

■ 今回の展覧会のテーマ


今回の展覧会は、「動物」にテーマを絞ったマイセン磁器作品が展示されています。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて流行したアール・ヌーヴォ時代の作品が中心になっています。
出品作品は120点にも及び、その9割が初公開作品で、ほとんどが個人蔵。
マイセンらしい繊細な花や鳥のモチーフのほか、動物の置物も並んでいます。

■ 展覧会構成


   1章 神話と寓話の中の動物
   2章 器に表された動物
   3章 アール・ヌーヴォーの動物
   4章 マックス・エッサーの動物

■ 神話と寓話の中の動物

 ● 花鳥飾プット像シャンデリア

今回印象に残った作品は、どれも宮廷彫刻家、ケンドラー(1706~1775年)による作品でした。

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「花鳥飾プット像シャンデリア」ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー、
エルンスト・アウグスト・ロイテリッツ 19世紀後半  個人蔵

こんなに繊細で温かみがあり、美しいシャンデリアは見たことがありません。
ろうそく台がありますが、たとえ照明が灯されていなくても、十分輝いています。
18世紀のロココ趣味時代の原型に、19世紀の好みのパーツを加えたシャンデリアだそうです。

大きな姿見もありました。
全ての女性をうっとり夢の世界へ送り込むようなシャンデリアと鏡。
これを持っている人は、なんと贅沢な時間を過ごせることでしょうね。

 ● 山羊に乗る仕立て屋

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「山羊に乗る仕立て屋」ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー
1820 - 1920年頃  個人蔵

サングラスをかけ、裁縫道具をあちこちに身につけた男性。
なぜか、山羊までサングラスをかけています。
貴族が身分が低い仕立て屋をやじって作ったものだそう。
目が悪い仕立て屋がヤギに乗って晩さん会に向かうものの、結局たどり着けない様子を風刺しているそうです。
そう聞くと気の毒な仕立て屋ですが、着ている衣装のフリルや小花がとても繊細で、目が奪われます。
山羊の毛の様子も、なかなかリアル。
笑いながらも、手の込んだ装飾に引き込まれる作品です。

 ● 人物像水注「四大元素の寓意」

神話と寓話をモチーフにして世界の構成要素を模した作品。
高級洋食器として知られるマイセンですが、彫像作品には高い芸術性と造形技術力が見られます。

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人物像水注「四大元素の寓意〈地〉」
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 1820 - 1920年頃

〈地〉には、狩りの女神のアルテミス、狩猟犬、そして笛を吹く牧羊神のパンが見えます。
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人物像水注「四大元素の寓意〈空気〉」
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 1820 - 1920年頃

〈空気〉には神々の女王ヘラと孔雀、使いの虹の女神イリス。
風の動きが見えるようですね。天使が、風神の持つような風の袋を持っています。
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人物像水注「四大元素の寓意〈火〉」
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 1820 - 1920年頃

〈火〉にはフイゴを持つ鍛冶屋の神ヘパイストスと、火を人間に伝えたプロメテウスがいます。
把手は火竜になっていて、裏には火山が描いてあります。
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人物像水注「四大元素の寓意〈水〉」
ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 1820 - 1920年頃

〈水〉は海神ポセイドンとメドゥーサ。4頭の海馬や人魚、海亀、海蛇、イルカも見られます。
うろこの細かい表現がすばらしかったです。

■ 器に表された動物

 ● スノーボール貼花装飾蓋付大壺


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「スノーボール貼花装飾蓋付大壺」ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー
1820-1920年頃 個人蔵

圧倒的な装飾力。
明治時代の陶芸家、宮川香山はこうしたマイセンの作風に影響を受けたのではないかと思いましたが、そうではなくて、彼の真葛焼の方がマイセンに影響を与えたのでした。

マイセンと関連団体の歴史年表を見ていると、ウェッジウッド社が経営破綻し、フィンランドのフィスカース社の傘下となったと書かれていました。
英国王室御用達でも、そういうことになるのですね。
知らなかったので、大変驚きました。
さらに、すでにロイヤルドルトン社、ロイヤルアルバート社もフィスカースに買収され、WWRDグループホールディングスの一員となっていたことも知りませんでした。
陶磁器メーカーの歴史も変わりゆくものですね。

この展覧会では動物彫刻から壺や皿に描かれた動物に至るまで、さまざまな動物たちを観ることができます。
動物の種類も、ヨーロッパにいる動物だけでなく、キリン、ゾウ、ホッキョクグマ、ペンギンなどもおり、本当に動物園のよう。
作品の一つ一つに、リアルさを追求しながらも可愛らしい仕草を写し取った、マイセンの超絶的な技法が発揮されていました。

マイセン動物園展
パナソニック汐留美術館
2019年7月6日(土)〜9月23日(月・祝)
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2018年12月06日

横浜維新 ~明治文明開化の礎となった横浜の歴史~

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講演者:宮川香山眞葛ミュージアム館長 山本博士

自分がとても好きな作家ながら、あまり世に知られていない宮川香山。
眞葛ミュージアム館長の講演を聴ける機会がありました。

● 開港当時の横浜村
まず、開港した当時、1859(安政6)年の横浜村は、人口482人の小さな海沿いの漁村でした。
今は380万人近い大都市になっています。

● 初代宮川香山(1842年-1916年)
もともとは京都出身。地元の円山公園付近を真葛が原といい、自分の窯にその地名をつけました。
もともと代々焼き物の家系に生まれ、近隣の雙林寺の住職から絵の手ほどきを受け、力をつけて行きます。

● 薩摩への誘い
名を馳せた彼のもとに、薩摩藩の家老の小松帯刀がやってきます。
薩摩焼の窯の改良を頼まれましたが、彼が35歳で病死したため、その話はとん挫しました。
あちこちから呼ばれていた中で、開港都市の横浜を勧められて移住、翌4年(1871)には太田村不二山下(南区庚台)に千坪の敷地の窯を構えました。
目的は、外国人に売るためでした。
窯には、連日外国からやってくるクライアントが買付のために、宿に荷物を置く間も惜しんで馬車を飛ばして駆け付けたそうです。

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『横浜諸会社諸商店之図』「陶器製造所 眞葛香山」神奈川県立歴史博物館

● 第一回内国勧業博覧会
明治10(1877)年に開催されたこの博覧会に、彼はヘチマがついた大きな壺を出品。
視察に訪れた明治天皇が、そのヘチマを触られたそうです。
その壺は、大久保利通が購入したとのことです。

● 国の重要文化財の明治時代制作の日本の焼き物
国の重要文化財に指定されている、明治時代制作の日本の焼き物は、たった3点のみ。
なんと、そのうち2点が香山の作品です。
日本であまり知られていないのは、作品がほとんど海外に輸出されてしまっていたから。
海外の万博でたびたび受賞。
明治4年に眞葛窯を開き、明治9年のフィラデルフィア万国博覧会で絶賛され、彼の名前は世界中に知られることとなりました。

● 横浜大空襲
昭和17年には117万人いた横浜の人口は、1945年(昭和20年)の横浜大空襲後、62万人に激減。
約2人に1人が命を落としたことになります。
横浜は、1時間に43万8570発の焼夷弾を受けて、焼け野原になりました。
米軍は、横浜でも4か所に集中的に攻撃をしたらしく、その一つがお三宮日枝神社でした。
おそらくそのあおりで、太田村の眞葛窯も壊滅的被害を受けたと思われます。

● 横浜眞葛窯の終焉
横浜大空襲の爆撃を受けて3代は死去し、工房も壊滅的な被害を受けました。
その後、兄弟が4代として復興を試みるも、戦後の混乱でうまく行かず、窯を閉じることとなりました。
そもそも作るのに半年から2年と、大層長い時間がかかるもの。
よほどの技術がないと、存続は難しいのです。
たまたま川崎の法政2校に通っていた次男は難を免れて、16歳で家督を継ぐことになりましたが、プロにはなりませんでした。
今はその息子が家長。ソニーのエンジニアをされているそうです。

● 真葛窯の跡地
元真葛焼の釜があった場所(南区庚台)のすぐそばに以前住んでいた私。
館長は、入り口付近だったと思われる場所に建つ家の人と友人だそうで、その家が立て替えをする際に、発掘調査を行ったそう。
すると窯で作られた陶器の破片がたくさん出てきたそうです。
唯一残っていた窯の煉瓦塀が工事で壊されてしまったことを、館長はとても残念がっていました。
市が保護してくれればよかったのですが。

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初代宮川香山作『崖二鷹花瓶 一対』 眞葛ミュージアム保管 個人蔵

● 伊藤若沖のモチーフ
初代香山の作品に伊藤若沖のモチーフが見られるそう。
同じ京都出身の画家として、幼いころから作画を知っていた可能性があるのと、海外に人気であることを知っていたからかもしれないとのこと。
つららの下のおしどり夫婦など、作品に若沖との共通点が見られます。

● 作風を大きく変えた理由
外国人の顧客が、過剰な装飾を施した作品から、日本本来の控えめな美しさを求めはじめたのに合わせて、絵付けをした上に透明な釉薬(ゆうやく)をかけて焼き上げる「釉下彩(ゆうかさい)」を作り始めました。
二代目によると、もともと初代は、落ち着いた渋い作品が好みだったそうですが、海外のニーズに合わせてダイナミックな作品を造っていたそう。
クライアントの好みが変わってくると、高浮彫の手法をやめて、ニーズに会わせた作品に変更したとのこと。
時代の流れを観ながら作風を合わせるという、マーケティング力に優れていたビジネスマンでした。
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『琅釉(ろうかんゆう)蟹付花瓶』明治~大正 山本博士蔵

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初代宮川香山の最晩年の作品。リアルな蟹の装飾と釉下彩が施されています。
かつてのダイナミックな作風と、後の静謐な作風が入り混じった絶妙な作品です。

● 幻の焼き物
真葛焼そのものが幻といわれているが、さらに幻となっているのが三笠焼。
軽井沢の三笠ホテルからの依頼で、地元の浅間山の軽石で作った陶器を作ったものです。
ただ、雪が深い場所なのであまり陶芸に適さず、10年しか活動しなかったため、幻といわれているそうです。
さらにレアなのが、晩年の新ブランド、狸亭。
これはたった半年しか活動しませんでした。

● 二つの真葛焼
ちなみに京都にも真葛焼はあります。
初代とは血縁関係はないが、二代目に使う許可をもらったと主張しているとのこと。横浜と裁判になったが、裁判所の決定は、許可。
京都の方は続いており、横浜の方は途絶えているからというのがその理由。
ただ、作風は全く違うとのこと。

● 真葛ミュージアム
講演後、館長のご厚意でミュージアムを鑑賞しました。
前出の『琅釉蟹付花瓶』もここで見られます。

あまり所蔵品は多くなく、スペースも小さいながら、初代香山のコレクションとしては日本最大。
今となっては、フェルメールのようにレア。海外にあるだろう彼の作品が見られる日を期待したいところですが、美術館ではなく貴族の館が所蔵していると、なかなか来日の機会はなさそう。

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真葛焼が今も続いていたら、間違いなく横浜、そして日本が誇る窯であり続けただろうと思うととても残念です。
ただ、この館長の尽力で、かなり世に知られるようになってきました。
市をあげて、もっと協力していってもいいのではないかと思います。

土曜・日曜 開館